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杉田水脈に思う

杉田水脈議員が「LGBTには生産性がないため税金を投入する大義名分はない」と発言し、連日ニュースに取り上げられるなどバッシングを受けている。

彼女の発言の何が問題だったかという点は既にさまざまなメディアが報道しているので、わざわざこのブログで解説することは避けるとして、個人的に彼女が「生産性がない」という意見を雑誌に寄稿してから感じていることや、自分自身の考えについて語っていこうと思う。

最初に彼女の発言について知ったのはTwitterだった。
確か尾辻かなこ議員が話題にしていたので知ったのだが、初めて知った瞬間は純粋に驚いたし、傷ついた。
杉田水脈のTwitterを見てみると、(現在ではツイートを削除しているようだが)別段悪びれる様子もなく「一部だけ切り取って批判されてもこちらの意図が伝わらないので、批判したい方は雑誌を購入してからどうぞ」と仰っていたので、じゃあそこまで言うなら、と思い雑誌を購入し彼女の原稿をすべて読んだ。

なんとも酷い原稿だった。
とてもいいように解釈すれば「LGBTも普通の人と同じなのだから、優遇する必要はありませんよね」というようなことを言いたいのだろうが、無知に基づく偏見の嵐で、内容はまんまヘイトスピーチだった。
「こんな文章が雑誌に掲載されていいものなのだろうか」と、出版社のリテラシーを疑ってしまった。

一体、この日本のどこを見ればLGBTが優遇されている(優遇しようという動きが出てきている)のだろうか。
結婚もできない、それに伴ってパートナーの扶養にも入れない、相手が入院するなどの緊急時に「家族」として面会できない・連絡が来ない、住居を探すのにも苦労する、未だに(杉田水脈のような)偏見を持つ人に蔑まれる……。
同性パートナーシップ制度やら何やら環境が整えられつつあるのは事実だけれども、それはあくまで我々が立っているのは「マイナス」なので、それを「ゼロ」に近づけようとしているというだけの話だ。
別にLGBTだからといって税控除してもらいたいとか、補助金をくれだとか、そんなことは言っていない。
「日本国民」として持つべき当然の権利をくれと言っているだけの話だ。

そして「LGBTに生産性がない」という話。
杉田水脈は「子どもを産めるかどうかという意味で生産性という言葉を使った」と言い訳していたと思うが、これに対しても無知も甚だしいなと思う。
現に自分の友人のレズビアンカップルは精子バンクを利用して妊娠し、出産して子育て中だ。
自分だって精子バンクに登録したりすれば子を作れるし、養子を取って育てるという選択もできる。

もちろん、杉田水脈が意図していなかった(と思われる)「生産性」の意味においても、自分は充分に社会貢献していると胸を張って言える。
前段で書いたように自分はパートナーはいれど、相手の扶養に入っているわけではないので、僕の世帯は男女の婚姻パートナー世帯よりも多く税金を納めている。2倍だ、2倍。
世帯収入の割に高い税金を納めているのに「生産性がない」だなんて言われちゃ、たまったもんではない。

とまあ、結局怒りを書き連ねてしまったけれども、今までLGBTや政治といったトピックに関心のなかった仲間たちも、今回のことばかりは見過ごしておけないようで、それぞれ署名活動をしたりデモに参加したり、SNSで持論を語ったりと盛んに動いている。
自分だってどちらかと言えば「ゲイですけど、静かに暮らしていたいのでほっといてください。LGBT支援?別に、自分が生きている間には同性婚も実現しそうにないしいいです」というスタンスだったのに、こんなにも杉田水脈・自民党への怒りを抑えきれないでいる。

今朝読んだニュースでは、杉田水脈は口頭注意を受けただけだと知った。
付随したニュースで別の自民党議員が新たにLGBT差別発言をしたとか、上の議員が「大したことない」で片付けようとしただとか、その手のものも読んだ。

こんなに直接的に、しかも国会議員ともあろう人物に差別のナイフを向けられたのは初めてだったので、できる範囲で抵抗していきたいと思う。
自分たちの世代は最悪どうなってもいいけれど、今LGBTであることに悩んでいたり、相談できなかったりして苦しんでいる子どもたちのためにも、こんな差別主義者が巣食う政権に日本を任せておけない。

政治的な主義主張はしない主義だったけれど、今回ばかりは話が別だ。
絶対に許せない。

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by innocentl | 2018-08-03 20:43 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

東京だけが働きたい街か

最近、SNSで「東京で働くこと」を目的にして就職活動をしている地方のゲイの子たちをよく見かける。
自分は「東京だけが働きたい場所なんだろうか?」と感じていたのだが、それは首都圏出身であるからこその驕りなのだろうか?と、なんとなくモヤモヤしていた。
ついさっき、またそのことについて考えてみたら、モヤモヤの根源がなんとなく言語化できそうなので書いてみようと思う。

自分が、地方の子が新卒で東京での就職を目指すのをなんとなく心配してしまうのは、以下の点であると思う。

①セーフティネットが弱くなる
家族との関係が良好であるならば、という前提付きになってしまうが、やはり困ったときに家族というセーフティネットが機能してくれるのは助かると思う。
新卒で就職すると、就職活動中には気づけなかった会社の悪い側面が見えてくるものだし、もしかしたらブラックな環境で働かされてしまうかもしれない。
新卒ゆえに「この会社はおかしい」ということに気づけずに食い物にされ、精神を病んで職を失ってしまう危険もある。これは何も特別な話じゃなく、ごくありふれた話だ。例に漏れず、自分もそうだった。

実家の近く、もしくは実家にすぐに帰れる距離の都市で勤めているのなら、精神が回復するまで実家に身を寄せるということもしやすいし、最悪メンタルがヤバくて何も手につかない状況になっても衣食住くらいは確保してもらえるだろう。

東京にいるとなると引っ越しというハードルがあるし、「今仕事を辞めたら引っ越さないと……」「実家に迷惑が……」などと考えて転職や退職を思い留まっているうちに、メンタルが取り返しのつかないことになるというのもよくある話だ。
社会人が転職で東京に来るのと、学生が新卒で東京に出てくるのとは環境の変化の度合いが違うので、「自分がメンタルを壊すかもしれない」ことは自覚しておく方がいいし、それに伴う諸々のリスクも承知しておいた方がいい。

②「知り合い」は離れていく
田舎にはゲイも、ゲイが集まるような場所も少ないので、恋愛やセックスをするチャンスに恵まれにくい。そのため「ゲイとしての活動」が魅力だと地方の子が感じてしまうのも無理はないと思うし、自分自身が僻地の出身だったとしたら絶対東京に憧れていたと思う。
こればかりは理屈ではないのかもしれないけれども、ちょっと一拍置いて考えてほしい。

確かに東京には新宿二丁目を始めゲイが集まるスポットはたくさんあるし、そもそもゲイの人口自体が多いので、友人や恋人を作ったりして心を満たすことは容易だろう。
ただ、人口が多いということはそれだけ「代わり」も多いということだ。

先ほども「もしもメンタルを崩したら……」といった書き口で触れたけれども、メンタルを崩したり、何かの拍子にお金が無くなったりすると、それまでどんなに仲良くしていた仲間たちでもみんなあなたを簡単に見捨てる。
週末を楽しく過ごすだけの仲間なら掃いて捨てるほどいるので、別にあなたでなくても良いということだ。

東京でできた知り合いを地元の仲間たちと同じ感覚で考えていると、薄情に思えてショックを受けるだろうと思う。
もちろん人との付き合い方でちゃんとした「友人」もできるけれど、自分が窮地に立たされたときに全面的に味方になってくれる人なんて、100人いる知人の中で1人か2人いればいい方だ。
その人たちに感謝をして自分を奮い立たせて再起できるくらいの人ならいいけれど、そんなメンタリティーの人はそもそもメンタルを病まない。
自分の元を去っていった大勢の「知り合い」の顔が思い浮かんで、「あんなに仲良くしてたのに、見捨てやがって」と恨み言を言う確率の方が高いのだ。

一旦つまずいたというだけでだいぶ辛く思えるのに、都会ならではの人付き合いにもショックを受けると思う。

近くの都会でウォーミングアップしてからでもいいのでは?
自分もそうだったし、自分の周りにも「新卒で入った会社で精神を病む」という人は大勢いたので、勢いだけで東京に出てこようとしている大学生の子たちが心配になってしまう。
もちろん足踏みをしていては何も始まらないし、思い切った決断をして挑戦するのを選ぶことはいいことだと思う。「何があっても自分の人生には自分で責任を持つ」という強い意志を持って活動しているのであれば、自分からは何も言う資格はない。

ただ、上に書いたような内容を読んで、少しでも心に引っかかってくれた人がいれば、「まずはウォーミングアップをしてからの方がいいんじゃないか?」とアドバイスをしたい。
田舎に仕事がないのだというのなら、福岡でも仙台でも大阪でも、実家(や、窮地に立たされたときに身を寄せられる可能性の高い場所)まですぐ帰れる場所で数年経験を積んで、社会人としてのスキルがついてから東京に来てもいいんじゃないのかなぁと思う。
諸々の処世術や仕事のスキルが身についた状態なら、新卒のときよりは格段に強い状態なので、たいていのことには対処できると思う。
あと、自分みたいに家族が機能していない人間だったら、帰る場所もないし別に東京だろうとどこだろうと状況に変わりはないので、好きなタイミングで移ればいいとも思う。
あくまで「自分がそうだったから」という経験だけにしか基づいていない、老婆心の過ぎる世迷言のようなものだと思ってもらえれば。

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by innocentl | 2018-06-27 14:09 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

ウリ専の受付

そろそろ書こうと思うことがある。
ほぼほぼ無職だった期間、僕はラブホテルの受付でアルバイトをしているとブログにも書いていたが、実際は違う。
男の従業員が男性相手に性的マッサージを行う店の受付業務をしていた。要はウリ専の受付だ。
この記事に書いた仲良くなった風俗嬢たち、というのは、実際は店に勤めていたゲイの男性たちのことを書いている。
このブログは完全に匿名というわけではなく、友人などが読むこともあるためになんとなく後ろめたくてそう隠していたが、もうそろそろ本当のことを書こうと思い筆を執っている。
というか、後ろめたく感じていること自体が店に勤めていた人たちに失礼かもしれないとも思う。

事の経緯はこうだ。

前職を辞めてから数ヶ月経ち、ライター業務をしながらも業務量としては多くなく、やはり生活していくのには金が必要だと思い始めたもののどうしていいのかがわからない。
コンビニだの古本屋だのいわゆる「まっとうな」バイトは数多くあれど、メンタルが不安定な状態で1から「まっとうな」場で働いてゆく自信がない。
メンタルが健康な状態なら別になんてことないが、ゲイであることを隠しながら周囲と世間話をするというのも精神的に摩耗するし、それを対処できるだけの心の健康は回復していないと自覚していた。
そこで「性的マイノリティ(ゲイ)であることを隠しながら働き続ける必要のない場で働こう」と思い立ち、つらつらとゲイ専用の求人情報サイトを見ていたら「マッサージ店の受付スタッフ募集(週3日程度)」というものを見つけ応募した、というわけだ。

応募した店は分類上「マッサージ店」で、本番行為はなし、ヌキはあり、というタイプの店だった。
別に受付スタッフだし自分が性行為をするわけではないが、なんとなく本番アリのウリ専に勤めてしまうと「どっぷり夜の業界に浸かってる人」のように思われそうで嫌だったという、しょうもない理由がある。同じ穴の狢じゃないか、と笑ってしまうが。

詳しいことは書かないが、店は新宿や渋谷などの都会ではなく、山手線でも「用事がないから降りたことないよ」という人がほとんどの地味な地域にある店にした。
単純に自宅から近いエリアの方が楽じゃないかという思いもあったが、これも新宿や渋谷だと知り合いに会ってしまうかもしれないし、ウリ専がたくさんあるエリアを歩いていることがバレたら「あいつ、ついに身体売り始めた」とあらぬ噂が立つんじゃないかという懸念があったからだ。何かしら理由がなければ若い人はまず立ち寄らないような、寂れたエリアを選んだ。

面接を担当したのは坊主頭で、50代後半くらいの男性だった。以降、彼を店長と呼ぶ。
「確認するけど、マッサージスタッフ(性的マッサージをする人)じゃなくて、受付スタッフ希望なのね?」と何度も聞かれた。
マッサージスタッフは完全出来高制で、付いた客の数で日当が決まる。60分のマッサージと手コキで手取りは5000円くらいだと聞き、確かに時給で言えば破格なのかもしれないけれど、客がつかないリスクなどを考えると案外べらぼうに高給なわけでもないんだなと思った。
受付スタッフは時給1100円で、朝11時の開店から23時の閉店まで1人で担当することもあれば、シフトで別のスタッフや店長と交代することもあった。

「ゲイなのよね?」「男の人に受けそうな顔してるからマッサージスタッフでもいいのよ」と店長はしつこく僕をマッサージスタッフとして採用しようと交渉してきたが、身体を売ってしまったら何かが終わってしまうような気がして、「いえ、受付業務希望です」とだけ返事をした。
受付スタッフとして採用されないようなら、諦めて帰ろうと思っていた矢先、店長は「わかりました。いつから来れますか?」と引き下がり、僕に出勤日を訪ねた。
こうして晴れて僕はウリ専の受付に採用された。

出勤初日、「ここではみんな本名じゃなくてスタッフ名(源氏名)をつけてるんだけど、他のスタッフが何て呼べばいいかわからないだろうから君もスタッフ名を考えて」と店長に言われ、たまたま待合室に置いてあったファッション誌の表紙に載っていた俳優の写真が目に入ったので「○○でお願いします」と、彼の名前を伝えた。
最初に伝えた俳優の名前は渋すぎて年齢とそぐわないということで却下され、「他にもあるでしょう。サトシ、タクヤ、ショウタ、ユウタ……」と店長が20代前半っぽい名前を次々とあげていったため、その中に含まれていた「テツ」と名乗ることにした。

「テツ」になってからは、週に3回店に出た。
駅から5分ほどの雑居ビルの中に入っている店の受付で、メールや電話で入った予約を処理して客をさばいたり、店内で待機しているスタッフに客が来たことや予約が入ったことを知らせたり、浴室や部屋の掃除、洗濯などをして過ごした。

店にはいろいろな人がいた。
中には馬が合わない人もいたが、受付スタッフとマッサージスタッフとは適切な距離感というか、壁があったため、別段衝突することはなく過ごせた。
馬の合わない人が出勤しているときはおとなしく業務に没頭したり、(店長に許可を取り)個人で請け負った原稿を書いたりして過ごしていたし、そこそこ話せる相手がいるときはスタッフの待機ルームで一緒になっておしゃべりをした。

地味だが業界では老舗ということもあり、スタッフは10代~40代と幅広かった。
おそらく新宿のウリ専となるとニーズに応えるために店ごとにもっと年齢層は絞られるだろうし、そもそもの平均年齢も下がるだろうし、このエリア特有のラインナップなんじゃないかなとも思う。

小遣い稼ぎの大学生、副業でやってるサラリーマン、開業資金を貯めるために働いている本業のマッサージ師、掛け持ちのフリーター、田舎から出てきたばかりで店の休憩室に住み着いている人など、いろんな人がいた。
なんとなく身体を売ってる人は「訳あり」なイメージがあったが、「俺たちしょうもないよな」という自虐的な雰囲気はどこかに漂いつつも、全体的に和気あいあいとしていて飄々としている姿が印象的だった。むしろ、当時くすぶっていた自分は彼らの姿を見てどこか勇気づけられている節もあった。
「テツくん、テツくん」と気さくに声をかけてくれるグループもいて、食事に誘ってくれることもあった。食事といっても、お互いお金がない者同士なのでたいていはコンビニのイートインスペースだったり、給料日後は少しリッチに駅前の日高屋やジョナサンに行った。

開店後すぐと閉店間際は忙しかったが、それ以外は暇な時間が多いバイトだった。
年齢が同じくらいのマッサージスタッフが教えてくれたゲームアプリをやったり、本を読んだりして過ごしていたが、窓がない(雰囲気づくりのため全てカーテンで塞いでしまっている)店内は時間の経過がわかりづらかったのを覚えている。
ただ、僕の話し相手をしてくれてワイワイと過ごしている彼らも客が入れば下着姿になって、個室へ入ってゆく。
休憩室で見せていた笑顔とは違った、穏やかなほほ笑みを携えて客の相手をしている彼らを、どこか別次元のもののように見ていた。
扉を隔てた向こうでは、彼らは仕事として客の性器を弄んでいる。場の雰囲気を盛り上げるために卑猥な言葉を発したり、キスをしたりもしているかもしれないと思うと、なんだか胸がざわついた。
嫌悪感とかではなく、多少なりとも人となりを知っている相手が数メートル離れた個室の中で性行為のようなものを行っている、と考えると、なんだか居心地が悪かったのだ。
仕事を終えてシャワーを浴びたあと、彼らがいつも通りの顔で、本当に何事もなかったかのように「お疲れ様です」なんて声をかけてきたりするので、余計に、だった。

結局10ヶ月ほどその店に勤め、今の会社にフルタイム勤務が決まった時点で退職を願い出た。
たまに小言を言われたりして「うるさいな」と思っていた店長も、「何かあったらまたいらっしゃい」と声をかけてくれて、不覚にもうるっときた。
「お世話になりました」と頭を下げ、給料が入った封筒を鞄にしまい、それきりその店付近には立ち寄っていない。

風の噂で聞いたが、古株の40代のマッサージスタッフを除いて、自分が顔を知っているスタッフはもうほとんどその店に在籍していないという。
それでも、2015年の秋から2016年の夏にかけてあそこで働いたという事実、お金がなくとも毎日必死で生きようとしていたスタッフたちのどこかあっけらかんとした態度や考え方などは、これからの人生でたびたび思い出すことなんだろうと思う。

東京のどこかで会ったら、挨拶をできるだろうか。
そもそも、彼らはまだ東京にいるのだろうか。

「今、こうやって生きてるよ」と、彼らの声をもう一度聞きたい気もするけれど、子どもじみた感傷と断ち切った方が良いのか、まだ僕にはわからない。

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by innocentl | 2018-01-15 18:29 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

「カミングアウト」は本当に必要か

「自分はゲイである」とカミングアウトして生きることは本当に必要なのだろうか、と思う。
今現在自分は妹とごく親しい友人、仕事関係の数人にカミングアウトして生活している。
あとはクラブやイベントなどで知り合ったような、一期一会でもう会わなさそうな人にも特別ゲイだということは隠さずに接している。
職場などではそういった話題を振られることもこのご時世減ってきてはいるが、まぁ現実問題として生きやすい「異性愛者」を演じて生きる道を選んでいる。

アメリカやドイツで同性婚が合法化されたことを受け、今は日本でも「同性婚を合法化せよ」といった活動などが行われており、時代の変革のさなかにあると思う。
ただ、社会的な風潮やら教育レベルなどが現状のままで仮に日本で同性婚が合法化されたとしても、自分はしないと思う。

というのも、カミングアウトして生きるとなると、どうしてもゲイは「ゲイの人」という色眼鏡で見られがちになる。
異性愛者は「あの人は異性が好きな人」という色眼鏡で第一印象をジャッジされることなどないだろうが、ゲイをカミングアウトして生きるとなると良くも悪くも「ゲイである」ことが呪いのようにつきまとうのだ。

例えば自分は今、物を書く仕事をしている。
芸能記事や舞台・映画の記事、取材や企業インタビューなどの幅広い仕事を任されることが多いが、仮に仕事関係でゲイをカミングアウトするとなると、おそらくLGBT関連の仕事しか回されなくなる。
きっと周りの異性愛者たちも悪気があるわけではないと思うのだが、自分はゲイだとカミングアウトした瞬間に「ゲイ(という属性)だけしか持っているものがない人」に落とされてしまうのだ。

出身の県はどこだとか、大学で言語学を専攻していたとか、高校時代はあまり学校生活を楽しんでいなかったけれど大学時代はそこそこ楽しんでいたとか、作家なら金原ひとみが好きとか、親と確執があって失踪生活をしている末に恋人と同棲してなんとか生き長らえているとか、洋楽が好きでよく一人でクラブに行ってお酒を飲んで過ごすのが好きとか、飲みすぎて吐きながらゴミ捨て場で寝てしまうこともあるとか、猫よりは犬が好きとか、蛇を飼っているけれど別に道端で見るアオダイショウには魅力を感じないとか、何の予定もない休日は土手を散歩することで季節の移ろいを感じるのが好きとか、洋書を読むのが好きだったけど最近はめっきりやってないから英語力が落ちてるだろうなと思っているとか、最近宇多田ヒカルが完全復活して新譜もバンバン出ているからうれしいとか、7年前から使っているウォークマンをそろそろ買い換えたいと思っているけれどなかなか手放せないとか……

そうした自分の持っている「ゲイということ」以外の属性や人となり、「僕という人間そのもの」はもはや一切無視されて、「ゲイの人」というカテゴライズをされてしまう。
「記者会見記事が得意です」「企業インタビューも多く行ってきました」という仕事の実績すら無視されて、「ゲイ」ということだけが人々が持つ僕という属性データベースに上書きされてしまう。

そうしたことが面倒だし、仕事の幅が狭まるというリスクもあるので、自分はあえて「異性愛者」ということで仕事関係の人間関係をやり過ごしている。
「異性愛者」ということにしておけば無駄な詮索を受けることもないし、(異性愛者は異性愛者であるということが原因で仕事の幅が狭まるなどありえないのに)仕事の幅が狭まることもないし、何かにつけて僕という「人間」を無視して「ゲイの人」という見られ方をすることはない。

社会的にカミングアウトをして生きてLGBTの権利獲得のために頑張っている活動家の人々は素晴らしいと思う。
けれども、僕は全てのセクシャルマイノリティが自身のセクシャリティを公表して生きる必要はないと思っている。
前述したようにセクシャリティを公表することによって受ける差別や偏見、誤解などリスクを考えたら、異性愛者として生きていた方が無駄に神経をすり減らしたり葛藤する必要などないのだ。
要は「しなくてもいい苦労」はしたくない、と思っているだけだ。「異性愛者」はそんな苦労もせずに普通に生きているのだから、なんでわざわざゲイに生まれたというだけでそんな苦労を買って出なくてはならないのだ。普通に生きたいのだ。

同性婚の話に戻す。
僕は結婚自体には興味はある。配偶者控除だったり、入院や事故などの緊急時に連絡してもらえたり、どちらかが先立つときの葬儀の問題だったり、「家族」として保証されていれば色々とやりやすいことがたくさんある。
しかし、この記事で書いたようなことが自分の身に降りかかるのは面倒であるので「同性と結婚している」ということが誰が見てもわかる書類になってしまうのには抵抗がある。
そうした理由から僕は仮に同性婚が合法化されたとしても結婚しないという道を選ぶだろうし、今のところ社会的にカミングアウトして生きていくつもりはない。そういう話だ。

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by innocentl | 2017-10-04 13:05 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

「ゲイだから」ではない

先日、ありがたいことにLGBTの目線でコラムを書いてほしいという仕事の依頼が来た。
LGBTの目線から昨今のLGBTにまつわる出来事の所感やら、単純に生活をしていて感じることなどを書いてほしいとのことだった。

自分ではセクシャリティはあくまで自分を構成するものの一部分であると捉えているので、正直「ゲイだからこそ」みたいな目線で何か社会に切り込んだ文章が書けるかどうかというのは不安もあるのだが、挑戦してみて初めて気づくことなどもあるかと思うのでお話を受けたいと思う。

最近よく感じることなのだが、LGBTフレンドリーと呼ばれる方々の中にもゲイに対する偏見というのを拭え切れていない人たちが多いなと感じる。
もちろん当事者ではないし、知らないのだから仕方のないことなのだとは思うけれど、ギャップとして感じているというだけの話だ。

そりゃあ「ゲイは気持ち悪い」という感情をダイレクトに持っている人や、「気持ち悪い」と直接的に表現することが自身のポリシーやポリコレに反するけれども文句をつけてやりたくて「そもそも生物学的に間違って……」「宗教的に……」と四の五の理由をつけて批判をしてくるホモフォビアな人々に比べれば、LGBTフレンドリーである方たちの存在は本当にありがたい。
知ろうとしてくれているというだけでもありがたい存在だ。

ただ、中にはポジティブな意味での偏見をぶつけられることもある。
このポジティブな意味での偏見というのはLGBT当事者としては疑問に思ってしまったり、不快に思う人がいるけれど、LGBT以外の人からすれば「褒めているつもり」の偏見だ。

簡単に言えば「ゲイだからおしゃれなの?」とか「ゲイだから女性の扱いがうまいんだね」といったような、「褒め言葉」に当たる。
統計学的な数字はわからないので実際にゲイにおしゃれだったり女性の扱いが上手い人が多いのかどうかはわからない。
ただ「ゲイだから○○なんでしょう?」という褒め言葉的な意見は、褒めているつもりだったとしてもその人を偏見に基づいてカテゴライズしているだけで、当人を見ていない言葉になってしまう。

僕も「ゲイの人って文章が上手いよね」と言われて、「それは僕が『ゲイだから』じゃなくて、『僕だから』なんだ」とムッとしてしまったことがある。
特別人を惹きつける文章を書いていると自惚れるつもりはない。しかし、僕にとって文章は学生時代から努力して国語や現代文の勉強にいそしみ、大学では言語学を専攻し、仕事でも毎回のように文章に赤入れ校正を受けて磨いてきた「努力の結果」と「技術」だと感じている。
努力してきて手に入れた「文章を書く力」を「ゲイだからお上手なんですね」の一言で片付けられたらたまったものじゃない。

これは異性愛者だってそうだろう。
「男性が好き」という女性が全員恋愛スペシャリストとして恋愛指南書を出版したり、「女性が好き」という男性が全員ホストとしてバンバン稼ぎまくるなんてありえない。
異性愛者の人だって「異性が好き」というのは人格を構成する一部分なだけで、特別意識するようなものではないと思う。
「異性が好きなんだから、異性をナンパのやり方教えてよ!」なんて言われたところで戸惑うだろうし、「異性が好きだから○○が上手なんですね」「異性が好きだから、あなたはなんだか人とは違うんですね」と言われても、「いやいや、それは異性が好きだからとか関係なく、私が私の人生を歩んできたからですよ」と反論したくなるだろう。

ただ最初にも書いたように、フレンドリーでいてくれるのはありがたい。
だからこそ、少しずつ身の回りからでもいいのでギャップというものを埋めていって、「同性愛者だからって別に大したことないよね」といい意味で思ってもらえるような社会が訪れたら、少しは生きやすくなるかなと感じた。

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by innocentl | 2017-09-26 15:07 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃。いつかのゴールドラッシュのようなその街を移民たちは“円都(イェンタウン)”と呼んだ。でも日本人はこの名前を忌み嫌い、逆に移民たちを“円盗(イェンタウン)”と呼んで蔑んだ。ここは円の都、イェンタウン。円で夢が叶う、夢の都。…そしてこれは、円を掘りにイェンタウンにやってきた、イェンタウンたちの物語。
岩井俊二監督の「スワロウテイル」のあらすじの一文だ。
20年以上前の映画だが、未来を予知していたのではないかというくらいしっくりくる名文だと思う。
もっとも映画が作られたころはバブルの崩壊からしばらく経って、だんだんとデフレが社会問題化してきた頃なので今よりもきな臭い世の中だったのかもしれないが。まだ物心もついていなかったのであまり社会情勢については覚えていない。

自分は1991年に生まれた。
バブル崩壊直後だったが、郊外で細々と職人をやっている家庭に生まれ育ったのでバブルの恩恵も受けていなかった。
バブルが継続しようが弾けようが「食うには困らないが贅沢はできない」という家庭だった。

90年代、バブル崩壊後の影響から大企業でリストラが問題になったり、就職氷河期だ、デフレスパイラルだとマスコミが日々報道する環境の中で幼少期を過ごした。
マクドナルドのハンバーガーや牛丼の値段が下がっただの上がっただの、そういった類のニュースがたくさんやっていたのは覚えている。

2008年にリーマンショックが起こった。
自分が高校生の頃だったが、政治経済を担当している教員が「これからの世の中、君たちにとってはとても厳しい時代になる。生きる力を身につけ、常に社会のことを知ろうとするように。そして選挙には行くように」と、当時リーマンショック問題について触れている新聞の切り抜きのコピーを配って世の中で何が起こっているのかを解説をしてくれた。
サブプライムローンがどういう制度で、どういう問題点があって、その結果リーマンブラザーズが破綻して、今後日本にどのような影響が出るのかを、じっくり話してくれた。
今思えば、彼は優しい大人だった。
進学校だったので政治経済を受験に使わない生徒は彼の声に耳も傾けず、英語のテキストを読んだり予備校の宿題を内職していたけれど、自分は彼の話を聞けて良かったと思えている。

2011年に東日本大震災が起こった。
震災当日は友人と茨城の大洗付近に出かけていたので震災の全容をつかめたのは翌日になってからだが、あの時に感じた先行きの見えない不安感は今でも覚えている。
それと同時に震災は日本の弱い部分を暴いたとも思う。
震災前はどこかで自分たちの将来や政治について楽観している部分もあったが、東京電力の原発問題や政府による隠蔽、鈍すぎる初動などを見て、「この国や企業は妄信しているだけでは食いつぶされてしまう」という不信感が芽生えた。
オリンピックの演説で「福島は完全にアンダーコントロールだ」と発言した首相を見て、どこか白けた目で見てしまったのも覚えている。
良くも悪くも震災前後で価値観や社会的なムードは変わったと思う。

不安がはびこる社会の中、激化する就職活動を経験した。
求人票を見るだけならかなり条件の良い、県で1番の資本力を持つ学校法人グループに200倍の倍率を潜り抜けて就職した。
このまま人生安泰だと思っていたら、まあ就労環境も悪く人の入れ替わりが激しい職場で、長時間労働させるくせに残業代も支払われないところだった。

日本という国には不信感と諦めの気持ちしかない。
生まれ育った環境や文化などは郷愁的な意味で愛すべきところもあるけれど、少なくとも若者が希望をもって暮らしていける土地ではない。

日本は貧しい国だと思う。
こう発言すると「でもこんなに社会資本が整っていて、治安のよい国は他にないよ」と返してくる大人もいる。
彼らは「日本が凄かった」時代を知っているからこそ、この斜陽、いや没落してしまった日本の体たらくを信じたくないのだろう。
「むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃」の幻想に縋りつかないとプライドを維持できないのだろう。
実際失業してみて、この国の社会保障の弱さと弱者の切り捨て具合を身をもって経験したので、セーフティーネットも正常に機能していない日本という国の貧しさを実感した。

過去に縋っていては何も変わらないと思う。
まずはそうした過去に縛られた大人たちも「日本が貧しくなった」という現実を受け入れ、そのうえで立て直す方法を考えるなり、一度ぶっ壊してから作り直すなりの方法を考えるのが解決への方法なのだろうと思う。

若者は数が少ないので、声が届かない。
低賃金でその日の生活すら苦しい日々なので、政治的な活動に注力するお金と時間も若者にはない。
せめて選挙に行くとか、その程度しかできないが、何か一つでも「日本に生まれてよかったな」と思えるような未来が来ないだろうかと、最近たまに思う。

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by innocentl | 2016-12-29 12:48 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

The gay élite

レスリーキーが「The gay élite」と題した写真を発表した。
パリッとしたスーツに身を包んだ男性たちがそれぞれの所属する企業(グーグルや電通のような大企業)の名前を出して写っている。

「今までゲイであるということを隠し、あたかもゲイでないように取り繕ってきた人たちの中にもセクシャルマイノリティーは存在する(しかも、日本人なら誰でも知ってるあの有名企業の中に!)」という意図があって公開されたものだそうだが、これがなかなか賛否両論あるようだ。

もちろんエリートという言葉が持つ独特のニュアンスを汲み取れずに条件反射的に唾を吐きかけてる人もいるけれど、もう少し踏み込んで理解しようとしてみても「うーん……」と思ってしまう要素がある。

仰る通り、今までゲイでないように取り繕ってきた人たちの中にもセクシャルマイノリティーは存在するんだよというメッセージ性があるということは大いに意義があることだと思う。
やりたいことや表現したいこと自体は理解できるのだけれども、それは別に大企業とかエリートに限ったことではないと思うし、今回のキャンペーンによって「やっぱりゲイの人たちってエリートだったり、アートの才能があったり、何か違うのね!」と思われてしまったら意味のないことなのではないだろうか。

ゲイだろうとビアンだろうと普通の人がほとんどなのだということは何度も書いてきた。
メディアが打ち出すパブリックイメージとは反して「一般人の中にもゲイはいるんだよ」ということを伝えたくて僕はおよそ10年前にこのブログを開設したし、初期から徹底して「普通のゲイ」ですとアピールしている。

まぁ普通といっても大学出て企業勤めしたけれど、ドロップアウトしてフリーランスやってというかなり泥臭い経歴であるけれど。
日雇いや性風俗で働いて日々生きるのに精一杯な貧困ゲイだっているし、無職だっているし、「あなたの身の回りにも存在する人たちなんですよ」というメッセージを伝えるにはもう少しどうにかならなかったのだろうか、という印象がある。

まだ写真一枚のビジュアルイメージしか出していない企画なので外野があれこれ言うのも野暮なのかも知れないけれど、インタビューやその後の企画で少しでも何かアクションがあれば望ましいのにな、と泥臭い人生を生きている普通のゲイは思うのだった。

ただ、こうして批判も起こることも見越してのことなんだろう。
まずは注目を集めてから……ということなのだろうか。
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by innocentl | 2016-10-25 10:23 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

「メゾン・ド・ヒミコ」が嫌いな理由

「メゾン・ド・ヒミコ」という映画を見た。
結論から言うと、僕はこの映画が嫌いだ。

この映画のあらすじを引用すると

ゲイである父親(田中泯)を嫌い、その存在を否定して生きてきた沙織(柴崎コウ)は、春彦(オダギリジョー)という若い男から父がガンで余命いくばくもないことを知らされる。春彦は父が営むゲイのための老人ホームで働く、父親の恋人だった。

もう少し追加すると、ゲイたちが暮らす老人ホームの手伝いをすることになった沙織もしだいに施設のゲイたちと打ち解けていって……といった感じだ。

ゲイにとって老後はかなり切実な問題だ。
別にセクシャリティ関係なく老後というものは不安なものだと思うけれど、法律上で「夫婦」や「家族」が保障されているヘテロセクシャルと違って、ゲイはパートナーとの関係が保障されているものではないし、仮にパートナーが先だった場合の財産分与や死亡時の手続きなど、現状の制度のままではスムーズにいかないことが多いという問題がある。
法律上「夫婦」ではないわけなので遺族年金が出るわけでもないし、普通にヘテロのみなさんが抱えてる「不安」にプラスしての「不安」がある。

前置きはさておき、「ゲイの老人ホームが題材の映画」というだけでグッと惹かれいざ観てみたものの、全くの期待外れだった。
これは「沙織の物語」であり、沙織の周囲にいるゲイたちは沙織の行動や思考を正当化するためだけに働くただの舞台装置だった。
その登場するゲイたちも「異性愛者が描く、異性愛者たちに都合のよいゲイ」であって、全くもって人物像にゲイとしてのリアリティを感じず、徹底してファンタジー的な存在だった。
つまり沙織の父親がゲイでなくても、舞台がゲイの老人ホームでなくても成立してしまう物語だった。

とにかくゲイの人物はステレオタイプで記号的に描かれており、少女漫画的というかBL的というか、「またこのパターン?」というような陳腐さがあった。

最初の方はその淡々とした空気感や老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」の美しさに目を引かれたが、登場する「ゲイ」がバイセクシャル、トランスジェンダー、ゲイとごちゃ混ぜだったことにまずは違和感を覚えた。
性のグラデーションをカテゴライズするのもナンセンスなので、そういった部分も全てひっくるめて「ゲイ」として扱ってるのね、と好意的に解釈し直したが、おそらく制作陣に知識がないだけだと思った。
実際この作品の監督、脚本家はゲイの知識がないのだとインタビューで語っていた。

具体的にこの映画を駄作だと判断した部分は大きく分けて以下の2つだ。

山崎さんの扱いが雑すぎる
劇中にはゲイの老人ホームで暮らす「山崎」という男が出てくる。
少しなよっとしたタイプだが、見た目は普通のおじさんの男性だ。
彼は女装願望があり、部屋でこっそりドレスを着たりメイクをして楽しんでいるが、女装した姿は誰にも見せていなかった(し、見られたくなかった)。

ところが主人公の沙織が彼を後押しし、ドレスを着た姿で老人ホームのメンバーと一緒にナイトクラブに出かけようと誘う。

しかしその時の山崎の姿がドレスを着ただけで、ウィッグもかぶっていないしメイクも全くしていない。
首から上は普通におっさんで、ドレスだけ着ているというアンバランスさなのだ。
異装愛者なら「女性に対するあこがれ」があるわけで、表に出るならなおさら「女性らしさ」のエッセンスを取り入れるのではないだろうか。
山崎がトランスジェンダー一歩手前のゲイ男性として描かれているのだとしても同じことが言える。

そうして出かけた先のナイトクラブで、山崎は務めていた会社の同僚に出くわしてしまい「カマ崎」「オカマ野郎だと思ってたら本当にオカマだった」「気持ちわりぃ」と罵倒されてしまう。
これに沙織は憤り口論になるのだが、一緒に来ていた春彦が沙織を止めダンスフロアに連れ出し、その場面は終わってしまう。

ゲイの当事者としてみれば「知人にゲイであることが知られてしまい罵られる」というシチュエーションは観ていて動悸がしてしまうほどシリアスな出来事だ。
予期せぬアウティング、同性愛差別の言葉で罵られる、考えただけで胸が締め付けられる。

その後のことを書けば、「山崎をかばっている沙織の姿を見た春彦は沙織に惹かれ、ゲイであるのにもかかわらず沙織にキスをしてしまう」という場面が展開される。

つまり、ゲイにとってデリケートな問題である「アウティング」は、沙織と春彦の恋愛パート(?)を進めるためだけの舞台装置で、山崎の心中や葛藤については一切触れられていない。
山崎だってゲイであることをひた隠しにして一般企業で定年まで勤めあげてきたのだから、それ相応のバックグラウンドはあるだろう。
「なんであの人結婚しないんだろうね」「なんかナヨナヨしてるしオカマなんじゃない?」と陰口をたたかれてきた過去もあるだろうし、女装の願望があったけれどゲイコミュニティの中でもそれができなかった葛藤もあるだろう。
ストーリーを進行させるためだけの出来事なので、そういったことには一切触れられないのだ。
この辺りの無責任さがまず「あ、この映画つまんないわ」と思わせたきっかけだった。

春彦が沙織とセックスしようとする場面が意味不明
先ほども書いたが、ナイトクラブで元同僚に罵られる山崎を必死でかばう沙織の姿に春彦は心惹かれていく。
後日、2人はセックスをしようと試みる。

ここが意味不明だ。
ヘテロだって何か頑張っている同性の姿を見て「かっこいいな」「あんな風になれたらいいな」と、思うことはあると思うが、それがイコール「キスしたい、セックスしたい」の好きではないだろうと思う。
ゲイだって女に惹かれることはあるという「異性愛者の願望」がにじみ出ていて気持ち悪いシーンだった。
昔の少女漫画でオネエ系の男性が「あなたにだけは惹かれる」と主人公の女に恋愛的なアプローチをするといった場面があったが、まさにそれで「あー、結局『こうだったらいいな』的な少女漫画の陳腐なストーリーか」と完全に冷めてしまった。
「愛に性別は関係ないよね、好きになっちゃったら性別は関係ないよね」といった稚拙で矛盾だらけの同性愛理解を「こういう感じでいいんでしょ」とひけらかしてきただけの場面だった。

しかも春彦は瀕死の恋人の娘とセックスしようとしてるのだが、ヘテロに置き換えると「恋人が瀕死だけど、恋人の息子がなんかかっこいいし惹かれるから俺も一度くらいはホモセックスしてみようかな」的な台本になると思うのだが、滅茶苦茶すぎやしないだろうか。

結局は自分の勘違い
ただ、上に書いたような理由に憤るのは間違いだとも思う。
これはゲイについて取材を行ったうえで作られた作品でも、「ゲイの老後」というデリケートな話題に切り込んだ作品でもなく、「沙織という女の子が父との確執を解消する」少女漫画なのだ。
漫画なので主人公以外の登場人物はすべて舞台装置として機能し、それぞれの登場人物が抱えているであろう心の闇や葛藤には一切触れられない、沙織の物語を彩るだけのただの背景なのだ。

「ゲイの老後について触れた作品」ということだけで、過度な期待をして観た自分が悪いのだ。
少女漫画として観れば空気感もいいし面白いんじゃない?といったレベルで、決してセクシャルマイノリティ当事者がリアリティをもって心動かされたり、ヘテロセクシャルである視聴者に同性愛や老後にまつわる問題について何か一石投じた作品ではないのだ。

映画を見てこんなに不愉快な気分になったのは初めてだったので、長々と書いてしまった。
せめてきちんと取材をして、然るべき人に監修を入れてもらえればもう少し面白かったんじゃないかと思った。

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by innocentl | 2016-10-18 18:15 | 真面目な話 | Trackback | Comments(1)

野獣先輩動画に思うこと

TwitterでAV女優(男の娘系なので正確には男優?)が、「探偵を使って『野獣先輩』を探し出す」番組をネットTV局経由で行うと発表しているツイートを見かけた。
問題のツイート

野獣先輩とは2000年ごろに発売されたゲイビデオに出演している男優の一人で、素人ものに何本か出演しているだけなので実際に名前を冠するポルノ俳優ではないのだが、ネット上では通称「野獣先輩」と呼ばれている。※詳しくは説明しきれない
ニコニコ動画や2ちゃんねるの文化に触れることがある人にとっては今更説明は不要かもしれないが、彼の出演ビデオの一部を切り張りしてアニメの映像などと合わせて面白おかしい動画を作ったりと、いわゆる「MAD動画」がニコニコ系のコミュニティ内で人気になっている。

※MAD動画とはアニメ映像の音声を差し替えたり、音声や動画を切り張りした映像作品。上は一例。

なぜ野獣先輩が人気になってしまったのか
ダンス動画を公開したり、ボーカロイドを使ったオリジナル楽曲を公開したりといった活動ももちろん人気だったのだが、元々ニコニコ動画ではこのMAD動画が盛んで、それぞれがお気に入りのアニメのMADを作って公開していた。
MADの素材はアニメやゲームだけでなく、CM音源や「なんでそんなものを使ってMADを作るんだ」という意外性やギャップでウケを狙う動画も多かった。
※例:アニメ映像と「カビキラー」のCM音声を合わせて作ったMAD

元々そういう土壌があった、というのが第一ポイント。
二つ目のポイントが、今から10年ほど前に人気だったMADの素材(MAD動画のネタにする題材)として、「ガチムチパンツレスリング」というものがあったことだと思う。
この「ガチムチパンツレスリング」は海外のゲイポルノビデオのワンシーンで、マッチョな外国人男性が下着姿でレスリングを披露するという映像だった。
元々の動画がシュールなうえ、この映像を使ったMAD作品が人気を博し、一時期はニコニコ動画内のランキングがこの「ガチムチ」を使った作品で溢れかえるほどにブームになった。
ここで、(海外作品とはいえ)ゲイのポルノビデオを「MAD動画」として公開するというパターンが出来上がってしまった。

余談だが、このガチムチパンツレスリングに出演している俳優たちは海外ではトップのポルノスターであり、ポルノ俳優を職業としている。
出演者の数人は日本で局地的なブームが起きていたことを知っており、そのうちの一人はニコニコ動画が主催するイベントにもゲスト出演するなど、比較的MAD動画に対して寛容な姿勢を見せていた。

※ニコニコ動画主催のイベントにゲスト出演した海外のゲイ・ポルノ俳優

ただ、これは彼らが「職業として」ゲイポルノ俳優をしているからこそ、ネット上のエンターテインメント(?)に協力的であったということが前提になるわけで、後述の野獣先輩問題とは状況が違うことを記しておく。

3つ目のポイントが、これはニコニコとは別の場所で起きた事件なのだが、現役の野球選手が過去にゲイ向けポルノビデオに出演していたことが発覚するスキャンダルが起こったこと。
現役のスポーツ選手がポルノ作品、しかもゲイ向けのものとなればマスコミもネット民も興味津々で、彼の出演したゲイ向けのAVが早々にニコニコ動画をはじめとするネット上の動画サイトにアップロードされてしまった。
MADを作ればウケる人たちがいるニコニコで、このビデオを題材に面白おかしいMADが作られて公開され始めるまで時間はかからなかった。

なぜ野獣先輩が見つかったのか
前述のとおり、最初に発掘されたビデオは現役野球選手が出演したものだけで、「野獣先輩」は出演していない。
最初こそ「現役の野球選手がゲイ向けAVに!?」といった驚きだけでネット上に広まった動画だが、時間が経つとだんだんとその内容について触れるものも増えてきた。
AVなんてどれもそんなものだと思うが、導入部のストーリーの滅茶苦茶さとか、明らかにおかしい人物設定や、(素人の男性を出演させているわけだから仕方ないが)俳優の演技力の低さなど、いろいろとツッコミどころの多い「ゲイビデオ」そのものに対して「おもしろい」と感じる人が増えてきた。
正直なところ自分もゲイビデオを見るときに、ストーリーものだとそのお粗末さに失笑してしまったりもするので、そういった部分を面白がる気持ちはわからないでもない。

こうなってくると「他のビデオも同じようにクオリティが低いのではないか」ということで、同じ会社からリリースされている同時期のAVが次々と発掘され、その中の一つに例の「野獣先輩」が出演していて発掘されてしまったというわけである。
なぜ野獣先輩がここまでのブームになってしまったのか説明しろと言われると困るが、要はハチャメチャな設定が多いゲイビデオの中でも特にツッコミどころが多いビデオだったから、とでも言えばいいだろうか。
おそらく形が違えば別の何かがブームになっていたかもしれないし、ただの偶然なのかもしれない。

そしてブームへ
こうして発掘された「野獣先輩」の出演したAVを使った使ったMAD動画がニコニコ動画にあふれ、Twitterなどでもこの「野獣先輩」を使った画像などが投稿されていたりと、ブームを引き起こしている。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)に基づくMAD動画?
MAD動画は「おもしろおかしく」作っているものなので、この現象は「同性愛」をネタに面白おかしい動画を作り上げてそれを見た人たちが笑っているという構図になる。
単純に「演技力の低い男優たち」を笑っているという構図というよりは、やはりゲイのポルノビデオをネタにしているというだけあって、「ゲイって気持ち悪いな」「ゲイは馬鹿にしてもよいものなんだな」という意識の下でこうした動画が公開され評価されているのだと思う。
アニメ作品なら馬鹿にするような描写をMAD内に取り入れたとしても「アニメキャラクター」が実在しているわけではないし、演じている声優やキャラを書いた人に向けて馬鹿にしているようなことをしているのではなければ、「アニメキャラに対して馬鹿にした描写を入れた」MADで傷つく人もそんなに多くない。
おバカキャラのアニメキャラが動画内でバカにされている様子もすべてフィクションの中の出来事で完結しているし、視聴者もそこのところも理解して楽しんでいるのだと思う。

ただ、こういった実写のもの、出演している人がいるものを使ったMAD動画はどうだろうか。
CM音源や映画やドラマなどの映像作品も、俳優個人への誹謗中傷が入っていなければまあ「フィクション」の範囲でおさまるのかな、といった感じであるが(それでもグレーゾーンだとは思うけれど)、今回のブームは同性愛コミュニティ全体を馬鹿にした動画だ。
しかもその中の一人、「野獣先輩」が特にネット民の間でたびたび取り上げられており、個人攻撃のようなものだ。

野獣先輩を探してはいけないのか
ネット上であまりにも有名になってしまったし、過去に海外のゲイポルノ俳優がニコニコ主催のイベントに出演したことから、なんとなく「OK」なんじゃないかという雰囲気になってしまっているのかもしれないが、まず彼も一人の人間である。
「素人ものに出演していた○○というAV女優さんを探偵を使って探し出したいと思います」という企画と全く同じことをしているのだ。
彼だって過去に数回、若気の至りでゲイ向けのポルノ作品に出演してしまったかもしれないが、今は家庭を持った普通の会社員かもしれない。
著名人としての自覚を持っている先の海外ポルノ俳優とは違うのだ。
ゲイビデオに出演した過去を必死に隠して普通の生活を送っているかもしれないノンケ(異性愛者)の男性であるかもしれないし、同性愛者だったとしてもこんな風に特定されてしまったらアウティング以外の何物でもない。

(参考)

アウティングの何が悪いのか、という意見もあると思うが、同性愛者への偏見や差別がまだまだ強く残る日本で、勝手に自分の性指向をバラされてしまったら、偏見で会社追われるかもしれないし、家族から縁を切られるかもしれない。
まだ状況によっては自分の性指向を隠しながら生きていた方が生きやすいし、わざわざ自分から茨の道を突き進むような人はいない。
同性愛への偏見をなくすために活動している人がどうしても前面に出てくるので勘違いされやすいが、そんな自分が同性愛者だとバレたことによって起こる無用なトラブルとは無縁に「普通に生活したい」と思っている人がほとんどである。
普通に学校に通って、普通に仕事して、普通に友達と遊んで、普通に生きて、普通に死にたいのだ。

このブログを読んでいる人なら理解してくれていると思うが、別にゲイはなりたくてなったわけでも、選びたくて選んだ生き方でもない。
あなたが普通に異性が好きなように、自分たちも生まれたときからそうだったというだけだ。
生まれつき左利きだったとか、目の色が少し明るかったとか、髪がくせ毛だったとか、そういったレベルの話なのだ。
そんな自分の力ではどうしようもないようなことを、変だとか気持ち悪いとか世間では評価していて、しかもそれを別段咎めるような法律もモラルもないという状況なのだ。
そんな状況ではとりあえず隠して生きていた方が世間の言う「ふつう」に迎合できるので、勝手に性指向をバラすようなアウティングは「善」でもないし、エンターテインメントとして扱うにはあまりにも残酷すぎる。

この「野獣先輩探し」の放送はまだ先のことのようだが、何かしらの対策が取られることを祈る。

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by innocentl | 2016-08-11 18:46 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

ウリと貧困(乱文)

男がゲイの男性相手に身体を売る風俗は「ウリ専」という。

男性差別的でおかしいなとは常々思うのだが、男同士の性行は法律的に引っかかることはないため、基本的にどの店でも本番、いわゆるアナルセックスまで行うことができる。

法的な規制がないために、ピンサロやソープ、デリヘルなどの法律の穴抜け的な多種多様な業務形態があるわけでもない。

唯一違いを上げるとすれば「アロママッサージ」を謡い、オイルマッサージを客に施した後に手で射精させるタイプの、いわゆる「ヌキありマッサージ」が異質であるか、といった具合だ。

もちろんオイルマッサージをした後に本番をすることができる店もあるので、なぜゲイの風俗業界でマッサージ系の店だけその他のウリ専と区別されているのかはよくわからない。

業界最大手のウリ専は学校の教室やソープランドを模したプレイルームがあり、イメクラのような側面もある。

こうした個室(やイメージプレイができるプレイルーム)を用意できる資本力のあるウリ専以外の、その他有象無象のウリ専はたいていマンションの一室で行為を行ったり、ホテルや自宅にボーイを派遣するようなデリヘルタイプが多い。

利用料金は業界最大手のウリ専で7014000円がスタンダードコースだ。

つまりボーイの手取りは一回のプレイで6000円~8000円であるのではないだろうか。

風俗で働く女性の手取りに比べると幾分少ないような気もするが、業界ではこれが適正価格のようだ。


先日、ウリ専で働くという男と話す機会があった。

彼は小学生に入る前に両親が離婚し、施設に預けられた。

そのまま施設で育ち、18歳になって高校を卒業すると同時に施設も「卒業」したという。

親も保証人もいない状況でいきなり社会に放り出されるというのも残酷だが、こうした人種に日本の社会・企業は厳しく、正規雇用はされなかったという。

もちろんそれだけが就職活動がうまくいかなかった原因とは限らないし、保証人代行会社を利用するとか、福祉施設に訴えかけるとか、もっと別の方法を取るべきだったのかもしれない。自業自得だ、という意見もあるだろう。

しかし施設では食事も勉強に必要なものも用意されているし、ゲームやおもちゃのような嗜好品を除けばすべて職員が用意してくれていたという。

施設を出るまではまともに一人で買い物もしたことがなく、「シャンプーや洗剤がこんなに高いものだとは思わなかった」と話していた。

彼はもともと自助能力の低いわけではなかったと思うが、施設暮らしで幾分浮世離れしてしまい、結果として自助能力が低いまま社会に放り出されてしまった。

施設を出てからしばらくは友人の家に転がり込んでアルバイトをしていたそうだが、そのうちにウリ専で働くようになったという。

現在はウリ専の寮(といっても、店の事務所の角にある二段ベッド)で生活しているという。

また、別のウリ専で働く男は母子家庭で、母親が精神疾患を患っており、彼がウリ専で稼いだ金はほとんど生活費に消えるという。

モラルハラスメント、金銭的な搾取だと思ったが、彼自身は「俺がなんとかしないとお母さんがかわいそうだから」とあくまで家族をかばった。


ノンケの性風俗に「デッドボール」という風俗店がある。

「ブス、デブ、ババア上等」とし、他店での採用を断られるような容姿や年齢に問題がある女性でも採用をし、表向きには「風俗嬢のレベルは日本ワースト1、怖いもの見たさで利用しろ」といったような、ある種「見世物小屋」的な売り出し方をしている店だ。

こうした見世物小屋的な売り出し方が話題になりメディアなどでも取り上げられているが、あくまでそれは客を釣るためのエサで、実際は「見た目に難のある地雷女性」を怖いもの見たさで指名する人よりは、そこそこの見た目の女性がよく稼働するごくありふれたデリヘルであるそうだ。

そのデッドボールでは、従業員が役所や福祉関係の手続きを手伝ったり、アドバイスを行ったり、風俗産業界で働かざるを得なくなってしまった女性のサポートを行っているという。

何度かソーシャルワーカーや弁護士などを待合室に呼び、借金などに悩む風俗嬢の法律相談などを行ったこともあるという。

一般的にLGBTの人は高所得だというイメージがあるかもしれないが、米国ではホームレスの15%(正確な数字は忘れたので曖昧だが)がLGBTであるという。

マイノリティ故にコミュニティを排除され、行き場を失ってしまう貧困層も確実に存在する。

日本で言えば性風俗で働くうえにセクシャルマイノリティという、二重でマイノリティであるがゆえに可視化されないLGBTの貧困が確実に存在する。

そうした人たちがせめて身体を売るという、病気などのリスクのない仕事に就き、精神を病むことなく働ける社会が必要なのではないだろうか。

そうして今、ノンケ業界の風俗で働く女性たちがそうであるように、「風俗」という現場に「福祉」が手を差し伸べつつあることを模倣するなり、LGBTの貧困も可視化させ、対策を取っていくべきなのではないか。


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by innocentl | 2016-05-18 18:49 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)