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エクスクルーシブ

「お箸をきれいに使える人が好き」

好きなタイプの話をしているときに、たまに聞くフレーズだ。相手の体型や顔立ちのような生まれ持った容姿に言及しておらず、「お金持ってる人が好き」「仕事できる人が好き」といったような表現に感じる若干のいやらしさのようなものもない、無難かつちょっと気が利いたフレーズとして使われていると思う。

「ブサイクは嫌だ」「デブは嫌だ」「金持ってない人は嫌だ」など、こうした表現は排除された側から激しく反発されるものだし(実際、差別的表現の場合もある)公の場でそうした排他的な発言をするのはそもそも品がないと思うが、「お箸をきれいに使える人が好き」という表現においては「まぁ、そうだよねぇ」と許容され、さほど反対意見が目立っていないように思う。実際、お箸をまともに使えないよりは、きれいに使えるに越したことはないと自分も思う(きれいに使えたところで誰からも何も言われないが、使い方がおかしいとナメられるわけだし)。

ただこうしたフレーズを聞くたびに「誰もが親から愛され、きちんと躾けられて育ったわけではないのに、残酷なことを言うなぁ」とも思ってしまう。ペンの使い方とか自転車の乗り方と同じで、成長してから自分の意思でトレーニングできるスキルではあるとはいえ、機能不全家庭で育った人が成人して「あっ、自分ってお箸の使い方おかしいかも」と気づいて矯正するのはけっこうハードルが高い。やはり幼い頃から親に見てもらって正しい使い方を学んできた人にはアドバンテージがある。

お箸の使い方を見て「この人はまともな家庭で育ってないだろうから恋愛対象にならないな」と判断する行為も、「ブサイクとデブは嫌だなぁ」と感じるのと同じように排他的な行為だと思う。いやもしかしたら、本人の身体を飛び越えて“家庭”や“生育環境”というバックグラウンドにまで及んでのジャッジなので、単に「自分好みでない容姿を排除する」ルッキズム以上に残酷な行為かもしれない。

とはいえ「機能不全家庭育ちの人は恋愛対象にならない」「家庭で真っ当に愛されて育った人がいい」というのも、人それぞれの好みだ。声に出して表明するかどうかはさておき、自分たちは自分の恋愛対象の好みを挙げるときには排他的になっている。一見無害なフレーズとしてマッチングアプリやら合コンやらでよく使われる「笑顔が素敵な人が好き」も、醜形恐怖症の人や歯並びにコンプレックスを持つ人を排除している。「よく食べる人が好き」だって、摂食障害の人を排除している。好みを語るとき、必ず自分たちは何かを排除している。

「お箸をきれいに使える人が好き」という人の好みを否定する気はさらさらない。自分だって恋愛対象の好みを挙げろと言われたら、到底こうした公の場に載せる文章には書けないようなエクスクルーシブな表現がバンバン出てきてしまう。単純に“誰も傷つけないフレーズ”のように便利使いされている「お箸がきれいに使える人が好き」も、明確な排除意識を裏に孕んでいる言葉だなと思っただけの話だ。好みを語るとき、誰も傷つけない表現などない。客観的に見て自分の言葉が差別的な表現になっていないか、その場に自分の表現によって“被差別属性”となる人がいないかだけ気を付けていれば、別にいいんじゃないかと思う。あとは相手との関係性次第だ。

※余談だが「眼鏡かけてる人は恋愛対象にならない」という表現もたまにマッチングアプリ等で見かけるが、そもそも眼鏡はファッションアイテム以前に視力の矯正器具だし「車椅子乗ってる人はちょっと……」「補聴器付けてる人は嫌だな」レベルのどぎつい発言な気がする。角膜に問題があったり、アレルギーを持っていたりする人はコンタクトレンズをつけられない(裸眼っぽく見せるファッションを選択できない)し。

by innocentl | 2022-06-09 19:49 | 日常 | Trackback | Comments(0)


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