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パリの砂漠、東京の蜃気楼

金原ひとみのエッセイ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」を読んだ。金原ひとみの著書は全てチェックしているが、本人によるエッセイが単行本化されているものはこの1冊だけなのではないだろうか。

「あれ、新刊見逃してたかも」と、事前知識なくAmazonで購入したため、初めて手に取ったときは小説なのかと勘違いしていた。「フランスが舞台なのか、そういえば『持たざる者』でも海外生活が一つのモチーフとして描かれていたよな、この本も彼女の小説にありがちな主人公設定なのだろうか……」などと思って読み進めていくうちに違和感に気づき、20ページほど読んだところで「あ、どうやらこれはエッセイで、この一人称も金原ひとみ自身を指してるのだな」と腑に落ちた。同時に、これまでの小説はほとんど全て彼女自身の半自伝的物語だったのだなと、改めて思ったりもした。

「初めて彼氏ができてからずっと恋愛を軸に生きてきたから、もう恋愛がない生活思い出せないんだよ。改めて、自分は二十二年間小説と恋愛の事だけ考えて生きてきたんだなって思う」

彼女の言葉にどきり、とした。仕事がそこそこ順調に回り始めた数年前から「年齢も年齢だし、いつまでもクラブだ酒だと浮ついてばかりもいられないよね」風に取り繕い、瞬間爆破的に業績を上げたりはせずともそれなりに仕事でも成果を出しつつ生きているが、自分も彼女と同類の人間だ。ほんの数年前までは抗鬱剤と酒を一緒に飲んでクラブに行き、本物のドラッグに手を出せない臆病者なりのチープなトリップ感に酔い、明け方になったら駅前でゲロを吐き、一緒に住む彼氏から「次はないよ」と呆れられるような生活を送っていた。

金原ひとみも親との関係が悪いらしい。そりゃ親と円満な人があんな小説を書けるわけない(と言ったら失礼だが)だろうから納得なのだけれども。自分も流行りの言葉で言えば毒親の元に育ち、かろうじて虐待は受けてなかったと思うけれども、虐待サバイバーは虐待されていた事実を受け入れること自体がストレスになるので「あれは大したことではない。親にも親の事情がある」と過小評価してしまう節があるから、他人からすれば立派な虐待を受けて育っていたのかもしれない。そんなことはどうでもいいけれど、彼女も家庭の不和を恋愛にのめり込む形で、不健康な形で救われてきた人間なのだなと、このエッセイを読んで感じた。

相も変わらずリアリティショーや映画の題材には恋愛が選ばれるし、恋愛をしていない人をどこか「欠けた」ものとして扱う風潮は未だ根強く残っているのかもしれないが、結婚しない・恋愛しないという選択肢を選び生きる人も「多様性」「個人主義」とともに尊重される世の中になってきているのは肌で感じる。自分も誰かから「パートナーがいない、恋愛をしたい」という話を持ちかけられるたびに「パートナーがいる、いないで個人の価値が決まるわけではないし、恋愛至上主義的な偏った価値観だと思う。仕事とか趣味とか、人生には恋愛よりも大切なことはたくさんあると思う。パートナーがいなくても、一人で生きて税金を納めているのは立派なことだ」と講釈を垂れることが多い。そんな自分こそ恋愛至上主義ここに極まり、みたいな生き方をしているのに。毎回口から漏れるポリコレ重視の非恋愛主義の肯定と、自分自身の「初めて彼氏ができてから今まで恋愛をし続けてきた」という矛盾に歯痒くなる。

自分は死ぬまで本当の意味で恋愛至上主義の土俵からは下りられないのかもしれない。意識して寄せているつもりもないのだが、彼女の各歴代作品を部分部分でトレースするように生きている自分は、なんとなくこの彼女のエッセイに自分の行く末を垣間見た気がして、若干の憂鬱と諦めと、逆に「ま、そんなもんだよな」というこざっぱりとした開き直りのようなものを感じてしまった。指標というと語弊があるかもしれないけれど、彼女が作品を発表し続けてくれる間は生きていけるような気がする。

by innocentl | 2021-02-10 22:08 | 日常 | Trackback | Comments(0)


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