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マウンティング

先日は自分の関わっている案件が、某ニュースサイトの年間大賞と佳作のダブル受賞をした。「ライターになりたい」と漠然と考えていた高校時代から今まで、地道に重ねてきた努力が実を結んだ結果だと思い、厳粛に受け止めている。とはいえ、明日から仕事内容がガラッと変わるわけでもないので、引き続き地道に毎日の業務に取り組んでいこうと思う。

ふと思ったのだが、これを公表することって、マウンティングになるのだろうか。

今やすっかり一般用語になった「マウンティング」。辞書を引いてみると「サルなどの霊長類が相手に対して馬乗りになり、自身の優位性を示そうとする行為。転じて、人間関係において相手よりも自分の立場が上であると行為や言葉で示し、自分の優位性を自慢したり、相手を貶したりすること」と書いてある。

マウンティングをけしかけてくる人間が最低なのは当然そうだが、自分は「なんでもマウンティング認定したがる人」も、同じくらいに最低で面倒くさいと思う。自分もどちらかといえば卑屈な方なので、往々にして人の言葉尻をとらえて勝手に「カチン」ときている人間だが、特にアラサーと呼ばれる年代に差し掛かったあたりから、こう考えることが増えた。

というのも、学生時代はある程度立場も横並びで、大学と専門学校、それぞれの専攻などの微々たる違いはあれど基本的には「みんな同じ」だった。それが社会人になり7年ほどの歳月がたった今では、同じ29歳といえど社会的立場や会社内でのポジションはもとより、趣味のグループにおける立ち位置や恋愛関係などにおいても、あの頃とは比べものにならないくらいバラバラだ。

そもそもの立場が違う人間同士が集まると、どうしても発生してしまうのが「価値観の相違」や「認識のズレ」だろう。過ごしている環境が違うのだから、当然それぞれが持っている普段属しているコミュニティ内での常識も違う。だがそうした者同士が集まったときに、ふと出た発言を揚げ足をとるように「マウンティングだ」と認定するのも違うと思う。

たとえば自分は新卒で入った会社を1年ちょっとで辞め、約5年間フリーランスライターとして生活し、今は会社員に戻った。フリーランス時代の5年間は収入が安定せずに、ほとんど貯金もできないままの生活を送っていたが、その間に会社員を継続していた同い年の人間はそろそろある程度まとまった金融資産を持ち始めている。当然、会社員経験しかない同世代が集まる場に顔を出せば「投資をするならどの銘柄がいいか」「持ち家を買おうと思うが、どのローンにするか」という話題が出てくる。

そこまでの考えに至るほどの資産を保有していない自分にとっては、正直「ケッ」と思ってしまうシチュエーションだ。これがリアルな場ではなくSNS上での出来事だったとしたら、相手と状況にもよるが黙ってミュートするなりしてしまうこともあるだろう。だが、これをいちいちマウンティングだと捉えていたらキリがない。そもそも過ごしてきた環境が違うのだ。

「彼氏がいないあなたには到底わからないだろうけれども、クリスマスプレゼントを選ぶのって結構大変なんですよ」は明らかにマウンティングだが、「彼氏のプレゼントを選ぶのって結構大変なんだよね」は、ただの愚痴だ。「今日は食べすぎちゃったから、明日はちゃんと摂取カロリーを考えて食事をしないと」という発言だって、毎日満足に食事をとれていないシリアの難民が聞いたら「はぁ?」と思うだろう。

30代の入り口は、20代に趣味なり仕事なり何かに熱中してきた人間の努力や経歴が実を結び始める年代なのだと思う。きっと今後も、横並びだと思っていた友人や知人たちが、どんどんそれぞれの分野で才能を開花させていたり、努力の末に何かを獲得したりする姿を目の当たりにする機会は増えていく。時には羨んだり、嫉妬心を抱いてしまったりすることもあるだろうが、それはそれとして自分のやるべきことをこなしていかなければならないと思う。嫉妬心をむき出しにしていても、自分の成功を誰かが喜んでくれることなどないだろう。30代の目標は、年相応の泰然自若さを身に着けることだ。

そして誰かが同じように何かを成し遂げたとき、素直な気持ちで「おめでとう」と言えるよう、毎日地道に仕事と勉強を続けて自分自身を鍛え、「あれ? 今マウンティングされたかも……」とウジウジ燻るようなダサいメンタルをかなぐり捨てて30歳を迎えたいと思う。

by innocentl | 2020-12-22 17:40 | 日常 | Trackback | Comments(0)


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