休日の過ごし方

Instagramを見ていると、みんな休日は気の合う仲間と遊びに出かけたり、飲みに出かけたりと楽しそう。
自分だってそうだがSNSなんていいところだけしか見せていないなんて百も承知だけれども、やっぱりこう情報量が多いと「何もしないまま休日が終わりそうだな」と感じながら重い腰を上げてせめてもの罪滅ぼし的にジムだけ行く、みたいな休日を過ごしているのは自分だけなんじゃないだろうかという錯覚に陥ってしまう。

みんな一人で過ごす休日だってそれ相応にあるだろうに、SNS上だけの情報を見せつけられてなぜか焦燥感に駆られて一人でクラブやらフェスやらに出かけてみるものの、その場で感じられる高揚感なんてすぐに消えてしまって、まるでドラッグに溺れているようだ。
考えれば考えるほど、ドラッグ中毒的に孤独感を癒している。
クラブだって長居すればそれだけ酒を飲むから金だって出て行くし、かといって耐性ができてもう1杯だけでは通用しない身体になっている。
ありもしない「充実しているみんな」の影に怯えて一人で爆音の鳴るフロアで踊って、もう二度と会わないであろうその場で声をかけてくる人たちとの中身のない会話を消費して、お金も無くなって。
馬鹿らしいな、と自分でも思う。

正直、ジムに行って、商店街や古着屋をぶらぶら歩きながら夕方まで過ごして、夕飯の買い物をして彼氏に夕飯を作って……といった休日を過ごす方が精神的な充足感は大きい。
わかっているのに、何に怯えているのかがわからない。
今の生活もいつかなくなってしまうと心のどこかで思っているから、完全に体を委ねられないのかもしれない。
どこかで「孤独なまま」の自分を望んでいるのかもしれない。

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# by innocentl | 2017-07-31 12:26 | 日常 | Trackback | Comments(0)

uhai

あてもなく一人で街を歩くことが多い。
「何か面白いことがあればいいな」と思いながら歩いているのだが、特別積極的に面白いことに身を投じようとしているわけではなく受け身な姿勢でいるので、結局のところ何も見つけられないまま終わることがほとんどだ。

先日も無性に寂しくなって一人で神保町から御徒町付近までぶらぶらとあてもなく彷徨った。
そんなときに、小さな公園で家族連れが花火で遊んでいる姿が目に入り、さらに心を抉られるような気持ちになってしまった。
自分には手に入らないものに対する羨望なのかもしれないが、もう少し異なっていて自身に対する諦めのような気持ちの方が多少強かったかもしれない。
自分はこのまま「何かないだろうか」と求め続けて、彷徨い続けて、結局何も手に入らないまま時間だけを浪費する生き方しかできないのだろうか。

クラブで踊って過ごそうが、面白いことを求めて人混みの中を歩こうが、結局孤独であることに変わりはない。
一人でいろんな場所に顔を出したり、いろいろなことに取り組むのが嫌いではないのだが、それは決して孤独に強いというわけではなく「どこかに自分の居場所があるのかもしれない」と、孤独という渇きを潤したいがために起こしている行動なのだと思う。

Kila chenye uhai na kufa lazima. Kipya huchakaa na kikubwa chochote hutoweka.

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# by innocentl | 2017-07-20 13:00 | 日常 | Trackback | Comments(0)

次に心折れたときには自死を

次に心折れたときは、きっと自死を選ぶと思う。

会社を辞めたり家族を捨てたり、いろいろと感情の振れ幅の大きな出来事が立て続けに起こって、その都度自分を鼓舞して生き長らえてきたけれど次の波が来たときに乗り越えられるような気はしない。
以前、浮草のような人生だと書いたこともあったけれど、これから生活が良くなるとか希望の持てる出来事が起こるとか、そうしたことにあまり期待を持てず、かといって現状を改善するために社会的な運動に参加するだの何か団体を立ち上げるだのといった気力もなく。
無気力とはまた違うのだと思うけれど、ある意味社会へのアンチテーゼ的に死を選んでやろうというサディスティックな気持ちもあるのかもしれない。
まぁ、自分一人が死んだところで周りに与える影響なんて太平洋にスポイト1滴のインクを垂らすようなものなのかもしれないが。

逆に「誰も気にかけないだろうし、いつでも死ねる」という気持ちが皮肉にも生きる気力に繋がっている部分もあるし、特別心折れなければなんとなくだらだらと生き長らえていくような気もするが、先のことはわからない。

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# by innocentl | 2017-07-19 12:20 | 日常 | Trackback | Comments(0)

それぞれの当たり前

お金がある人にとっては貧乏な人はなぜその状況に陥っているのかを到底理解できないだろうし、学歴のある人は中卒・高卒で社会に出る人のことを理解できないだろう。

恋人関係もそうで、特定の相手と穏やかに長い付き合いをする人は気の多い人を軽蔑すらするだろうし、軽い恋愛をたくさん楽しみたい人は逆に彼らを退屈だと思うだろう。

持ってないものは理解できないのだ。
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# by innocentl | 2017-07-19 09:05 | Trackback | Comments(0)

支え

「今の彼氏とは付き合ってどれくらいなんですか?」という質問に、「そんなに長くはないです。3年くらい」と答える。
社会人になってからというものの1週間は長いが1年が短く感じられ、3年という月日はあっという間だった。
前の会社にいるときに付き合い始め、仕事を辞め、なんとなく同棲を始めて……と、ここ数年で起こった出来事が多かったので、気づけば3年経っていたという感覚だ。

学生の頃とは時間に対する感覚がやはり異なる。
あっという間に死ぬんだろうな、と思う。



年数で言えば初めての彼氏がいまだに一番長い付き合いだ。
初めて付き合った彼氏とは高校時代から4年半ほど付き合った。
過ぎてしまえばあっという間のことなのかもしれないが当時は年齢が若かったこともあり、4年半という月日は相当長いものに感じられた。

別れた当時は若さゆえに自己憐憫の涙を流したこともあったけれど、どっちが悪いとかいう話ではなく、互いがうまくマッチングしなくなっただけのことだった。
付き合っている期間、彼の父は事故に遭い介護が必要になった。母も軽度の認知症を患っていることがわかり、彼はそれまでしていた仕事を辞め、転職活動をするようになった。
実家が裕福だから心配ないと言い、(おそらく子ども扱いされていたのだが)彼は自分に家庭の状況を話すことは多くなかった。

何度か転職をしていたが、職場環境と合わなかったり介護の必要な両親を抱えているために起こるさまざまな問題のため、どこも長続きしておらず精神的な余裕を失っているように見えた。
その頃自分は大学に入学し、少しずつ学内でもゲイ関係でも交友関係が広がっていった。
周りの友人たちはみな年相応に遊んだり学校に通ったり、人生を楽しんでいるように見えて眩しかった。
一方で彼は仕事や家庭のことに必死で前ほど友人たちと出かけることもなくなっていたし、自分に対して執着というか束縛というか「縋る」ような形になってきており、それが当時20歳前後の自分にとっては重く感じてしまっていた。
「死にたい」「今抱えてるものをすべて手放して消えてなくなりたい」という愚痴も増えていた。
同世代が楽しそうにキラキラと毎日を過ごしている(ように見えた)なかで、自分は鬱屈した感情を抱えて精神的に不安定になっている彼氏と暗闇の中で脆いガラスの上を歩くような関係を続けていっており、その対比がさらに自身の虚しさを強調させていた。

自分がそのとき彼と同じくらいの年齢で働いており、ある程度の収入があるということであれば別の支え方もできたのかもしれないが、学生だった自分にとって彼の抱えているものはあまりに大きすぎて、彼越しに伝わってくる不安とか絶望感のようなものが自分も蝕んでいくように思えた。
思い返せば寄りかかる彼を跳ねのけて自分は逃げたのだ。

最後に会ったときのことをまだ覚えている。
たぶん普通に食事をとったあとにセックスをすることになったのだが、なぜか涙が止まらなくなってしまい「もう無理だ」と自分から伝えたはずだと記憶している。
そのとき彼は仕事か何かで箱根に行ってきた際に買ってきてくれたお土産を持っていたのだが、受け取らずに部屋を飛び出して駅に向かった。
その日の夜に「お土産、捨てるね」と短いメッセージがSMSで届いていたが、その短い一文の中に彼の寂しさとか呪詛めいたものを感じて、自分を責めた。
数日後に改めて別れ話のようなものをメールで送りあったが、それきりだ。
たぶん別れ話もきれいにまとまってはおらず、どこかで途切れてそのまま音信不通なだけだったと思う。
4年半付き合ってきて、終わりはあっけないものだった。あれ以来、どこかで偶然に元彼と会うということもない。

今の彼氏とは互いに社会人ということもあり、ある程度自立した人間同士で付き合いをしているから、今のところはバランスがとれていると思う。
なるべく穏やかに、バランスを崩さずに生きていけたら、とひっそり思う。

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# by innocentl | 2017-07-13 12:52 | 恋愛 | Trackback | Comments(0)