生きているうちは

正月、母から年賀状が届いていた。
ありがちなテンプレートが印刷された年賀状に、母の好きなキャラクターのシールが小さく貼ってあり、「毎日健康に」といったような内容が一言だけ書いてあった。

「息子はいなかったものだと思って生活してほしい」と、以前手紙で伝えたつもりなのにな、と肩を落とした。
子どもはいないし、そもそも作ることができない身体なので、親の気持ちは僕にはわからない。
これは彼女なりの贖罪なのか、後悔の表れなのか。

いずれにしても覆水盆に返らずというか、壊れてしまったものはもう二度と修復できないし、するつもりもない。
そもそもの話になってしまうが、最初から母も母で「理想の家庭」を高く掲げすぎて無理して理想を演じていただけかもしれないし、その「理想の家庭劇場」の舞台裏を見てしまった僕が勝手にショックを受け、傷ついて家を飛び出しただけなのかもしれない。

家庭のことはそんなに話さないが、どうしても話さなければいけないときには「親はいない、生きているのか死んでいるのかもわからない」と伝えて過ごしている。
世の中「家族は無償の愛で繋がっている。困ったときに助け合えるのが家族」という宗教を信じて過ごしている人が想像以上に大多数を占めているので、自分のような無宗教者はアウトローとして扱われ、腫れもの扱いをされる。
そのおかげで深入りされずに済んでいるところだけは感謝すべきことであるけれども。

親も人間なので完璧である必要はないし、人として間違ったことを犯してしまうことだってある。
そうではあるけれども、当時メンタルも充分に回復していないどん底の状況で拒絶をされたという事実は深く傷つけられたことであったし、到底「完璧な人間なんていないよね。はい、喧嘩両成敗」で済ませるものではない。
こういう時、相手が他人だったら関係を切って終わりにしていたのが元来の自分なので、それに従って関係を清算したまでだという話だ。

親と縁を切って生きるというのは想像以上に気楽で、自由で、「ようやく自分の人生を生き始めることができたな」と清々しい気持ちなものだ。
今まで自分の中で無意識にブレーキをかけていた部分や、(意識下なのか無意識下なのか)勝手に制限をかけていたものが取り払われた気分だ。
その分孤独であるし、自分の保護者は自分なので責任を負わなければいけないものも多いけれど、得たもののほうが多い。

時折悲しみや辛い気持ち、怒りがフラッシュバックすることもあるけれど、これも別に悪いことではない。
そうした心の傷も含めて「自分」だし、折り合いをつけて上手に付き合っていくしかない。

少しずつだけれども、自分の足で歩き始められている。
今度親から手紙が届いたら、もう一度「息子は死んだものだと思え」と伝えるつもりだ。
子を育てるのは親の義務だし、ある程度まで育ててもらった恩義はあれどそれに囚われる必要はない。
薄情と言われようがその後のことは知ったことではないので、いつまでも「死んだ」息子の亡霊に囚われていないで親にも親の人生を生きてほしいと思う。

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# by innocentl | 2017-02-14 18:13 | 日常 | Trackback | Comments(0)

金曜22時過ぎクラブにて

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ライター貸してと話しかけられた。
2時間後、この人を抱くだろうなと思った。

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# by innocentl | 2017-01-20 22:19 | Trackback | Comments(0)

LOVE

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# by innocentl | 2017-01-15 13:11 | Trackback | Comments(0)

一緒に歩くのが恥ずかしいという感覚

「一緒に歩くのが恥ずかしい」という言葉の意味が、学生の頃はわからなかった。
学生の頃は服装なんか月々7万かそこらのバイト代の中から捻出して買うものだったので、まぁよくショッピングモールに入ってるようなワールド系列の店舗とかで買う程度だったし、同じ大学の仲間たちは周りも似たような感じだったので意識することもなかった。

社会に出て年齢を重ねると、服装に関してそうではない人もたくさんいるのだと気づいてきた。
自分だって服飾費はそこまでかけていないしファッションに大してこだわりがあるわけではないので、「おしゃれをしてほしい」だなんて大それたことは思ってはいないのだが、その次元じゃない人も大勢いる。
語弊を恐れずに言えば小学生の頃のままの服装をしている大人というか、ポップな色使いのアルファベットが羅列されているシャツに、7分丈くらいのズドンとしたシルエットのカーゴパンツに、スニーカーがダンロップみたいな感じというか。
そのダンロップも「ファッション感度の高い人があえてハイテクスニーカーを履いていますよ」ではなく、小学生の運動靴的なものであったり。

学生の頃はわざわざ大学に気取った格好して通うのも馬鹿らしいしそれで許されていたかもしれないけれど、25歳の休日の私服としてそれはいかがなものか、と思ってしまったことがある。
そこまで世間が人の服装なんか見ていないことも重々承知だが、一緒に歩くのが苦痛になる。

服に金をかける必要は全くないと思う。
全身ZARAやForever 21、ユニクロのようなファストファッションで揃えたとしても、サイズ感や色使いがおかしくなければしっかりと年相応の大人の男性としておかしくないファッションはできる。

ただ、そういう人たちはそれを良しとする者同士で交流して、そのコミュニティで交際して……と、関係を構築していっている。
自分はそうではないので、それを良しとしないコミュニティに所属すればいいだけの話である。

何にお金をかけるか、力を注ぐかはその当人の自由であるし、他人から強制されるようなものでもないと思う。
自分は服装や髪型とかを全て差し置いてまで力を注ぎたい趣味を持っていないので、せめてもと思い人並みに身嗜みに気を遣って生きている、ただそれだけのことである。
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# by innocentl | 2017-01-15 11:28 | Trackback | Comments(0)

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃。いつかのゴールドラッシュのようなその街を移民たちは“円都(イェンタウン)”と呼んだ。でも日本人はこの名前を忌み嫌い、逆に移民たちを“円盗(イェンタウン)”と呼んで蔑んだ。ここは円の都、イェンタウン。円で夢が叶う、夢の都。…そしてこれは、円を掘りにイェンタウンにやってきた、イェンタウンたちの物語。
岩井俊二監督の「スワロウテイル」のあらすじの一文だ。
20年以上前の映画だが、未来を予知していたのではないかというくらいしっくりくる名文だと思う。
もっとも映画が作られたころはバブルの崩壊からしばらく経って、だんだんとデフレが社会問題化してきた頃なので今よりもきな臭い世の中だったのかもしれないが。まだ物心もついていなかったのであまり社会情勢については覚えていない。

自分は1991年に生まれた。
バブル崩壊直後だったが、郊外で細々と職人をやっている家庭に生まれ育ったのでバブルの恩恵も受けていなかった。
バブルが継続しようが弾けようが「食うには困らないが贅沢はできない」という家庭だった。

90年代、バブル崩壊後の影響から大企業でリストラが問題になったり、就職氷河期だ、デフレスパイラルだとマスコミが日々報道する環境の中で幼少期を過ごした。
マクドナルドのハンバーガーや牛丼の値段が下がっただの上がっただの、そういった類のニュースがたくさんやっていたのは覚えている。

2008年にリーマンショックが起こった。
自分が高校生の頃だったが、政治経済を担当している教員が「これからの世の中、君たちにとってはとても厳しい時代になる。生きる力を身につけ、常に社会のことを知ろうとするように。そして選挙には行くように」と、当時リーマンショック問題について触れている新聞の切り抜きのコピーを配って世の中で何が起こっているのかを解説をしてくれた。
サブプライムローンがどういう制度で、どういう問題点があって、その結果リーマンブラザーズが破綻して、今後日本にどのような影響が出るのかを、じっくり話してくれた。
今思えば、彼は優しい大人だった。
進学校だったので政治経済を受験に使わない生徒は彼の声に耳も傾けず、英語のテキストを読んだり予備校の宿題を内職していたけれど、自分は彼の話を聞けて良かったと思えている。

2011年に東日本大震災が起こった。
震災当日は友人と茨城の大洗付近に出かけていたので震災の全容をつかめたのは翌日になってからだが、あの時に感じた先行きの見えない不安感は今でも覚えている。
それと同時に震災は日本の弱い部分を暴いたとも思う。
震災前はどこかで自分たちの将来や政治について楽観している部分もあったが、東京電力の原発問題や政府による隠蔽、鈍すぎる初動などを見て、「この国や企業は妄信しているだけでは食いつぶされてしまう」という不信感が芽生えた。
オリンピックの演説で「福島は完全にアンダーコントロールだ」と発言した首相を見て、どこか白けた目で見てしまったのも覚えている。
良くも悪くも震災前後で価値観や社会的なムードは変わったと思う。

不安がはびこる社会の中、激化する就職活動を経験した。
求人票を見るだけならかなり条件の良い、県で1番の資本力を持つ学校法人グループに200倍の倍率を潜り抜けて就職した。
このまま人生安泰だと思っていたら、まあ就労環境も悪く人の入れ替わりが激しい職場で、長時間労働させるくせに残業代も支払われないところだった。

日本という国には不信感と諦めの気持ちしかない。
生まれ育った環境や文化などは郷愁的な意味で愛すべきところもあるけれど、少なくとも若者が希望をもって暮らしていける土地ではない。

日本は貧しい国だと思う。
こう発言すると「でもこんなに社会資本が整っていて、治安のよい国は他にないよ」と返してくる大人もいる。
彼らは「日本が凄かった」時代を知っているからこそ、この斜陽、いや没落してしまった日本の体たらくを信じたくないのだろう。
「むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃」の幻想に縋りつかないとプライドを維持できないのだろう。
実際失業してみて、この国の社会保障の弱さと弱者の切り捨て具合を身をもって経験したので、セーフティーネットも正常に機能していない日本という国の貧しさを実感した。

過去に縋っていては何も変わらないと思う。
まずはそうした過去に縛られた大人たちも「日本が貧しくなった」という現実を受け入れ、そのうえで立て直す方法を考えるなり、一度ぶっ壊してから作り直すなりの方法を考えるのが解決への方法なのだろうと思う。

若者は数が少ないので、声が届かない。
低賃金でその日の生活すら苦しい日々なので、政治的な活動に注力するお金と時間も若者にはない。
せめて選挙に行くとか、その程度しかできないが、何か一つでも「日本に生まれてよかったな」と思えるような未来が来ないだろうかと、最近たまに思う。

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# by innocentl | 2016-12-29 12:48 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)