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レザー

寒くなってきたのでレザージャケットをクローゼットから取り出したら、内側に白いカビが生えてしまっていた。
拭いて落とした後にクリーニングに持って行き、今週末に受け取りに行く。
カビを見た瞬間に「うわっ!」と思ってしまったのだが、もとはと言えば動物の死骸なのだからカビくらい生えて当然か。
そろそろ本格的に衣替えもしなければ。週末はちょっと忙しくなるかもな。

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by innocentl | 2017-10-13 14:11 | 日常 | Trackback | Comments(0)

「カミングアウト」は本当に必要か

「自分はゲイである」とカミングアウトして生きることは本当に必要なのだろうか、と思う。
今現在自分は妹とごく親しい友人、仕事関係の数人にカミングアウトして生活している。
あとはクラブやイベントなどで知り合ったような、一期一会でもう会わなさそうな人にも特別ゲイだということは隠さずに接している。
職場などではそういった話題を振られることもこのご時世減ってきてはいるが、まぁ現実問題として生きやすい「異性愛者」を演じて生きる道を選んでいる。

アメリカやドイツで同性婚が合法化されたことを受け、今は日本でも「同性婚を合法化せよ」といった活動などが行われており、時代の変革のさなかにあると思う。
ただ、社会的な風潮やら教育レベルなどが現状のままで仮に日本で同性婚が合法化されたとしても、自分はしないと思う。

というのも、カミングアウトして生きるとなると、どうしてもゲイは「ゲイの人」という色眼鏡で見られがちになる。
異性愛者は「あの人は異性が好きな人」という色眼鏡で第一印象をジャッジされることなどないだろうが、ゲイをカミングアウトして生きるとなると良くも悪くも「ゲイである」ことが呪いのようにつきまとうのだ。

例えば自分は今、物を書く仕事をしている。
芸能記事や舞台・映画の記事、取材や企業インタビューなどの幅広い仕事を任されることが多いが、仮に仕事関係でゲイをカミングアウトするとなると、おそらくLGBT関連の仕事しか回されなくなる。
きっと周りの異性愛者たちも悪気があるわけではないと思うのだが、自分はゲイだとカミングアウトした瞬間に「ゲイ(という属性)だけしか持っているものがない人」に落とされてしまうのだ。

出身の県はどこだとか、大学で言語学を専攻していたとか、高校時代はあまり学校生活を楽しんでいなかったけれど大学時代はそこそこ楽しんでいたとか、作家なら金原ひとみが好きとか、親と確執があって失踪生活をしている末に恋人と同棲してなんとか生き長らえているとか、洋楽が好きでよく一人でクラブに行ってお酒を飲んで過ごすのが好きとか、飲みすぎて吐きながらゴミ捨て場で寝てしまうこともあるとか、猫よりは犬が好きとか、蛇を飼っているけれど別に道端で見るアオダイショウには魅力を感じないとか、何の予定もない休日は土手を散歩することで季節の移ろいを感じるのが好きとか、洋書を読むのが好きだったけど最近はめっきりやってないから英語力が落ちてるだろうなと思っているとか、最近宇多田ヒカルが完全復活して新譜もバンバン出ているからうれしいとか、7年前から使っているウォークマンをそろそろ買い換えたいと思っているけれどなかなか手放せないとか……

そうした自分の持っている「ゲイということ」以外の属性や人となり、「僕という人間そのもの」はもはや一切無視されて、「ゲイの人」というカテゴライズをされてしまう。
「記者会見記事が得意です」「企業インタビューも多く行ってきました」という仕事の実績すら無視されて、「ゲイ」ということだけが人々が持つ僕という属性データベースに上書きされてしまう。

そうしたことが面倒だし、仕事の幅が狭まるというリスクもあるので、自分はあえて「異性愛者」ということで仕事関係の人間関係をやり過ごしている。
「異性愛者」ということにしておけば無駄な詮索を受けることもないし、(異性愛者は異性愛者であるということが原因で仕事の幅が狭まるなどありえないのに)仕事の幅が狭まることもないし、何かにつけて僕という「人間」を無視して「ゲイの人」という見られ方をすることはない。

社会的にカミングアウトをして生きてLGBTの権利獲得のために頑張っている活動家の人々は素晴らしいと思う。
けれども、僕は全てのセクシャルマイノリティが自身のセクシャリティを公表して生きる必要はないと思っている。
前述したようにセクシャリティを公表することによって受ける差別や偏見、誤解などリスクを考えたら、異性愛者として生きていた方が無駄に神経をすり減らしたり葛藤する必要などないのだ。
要は「しなくてもいい苦労」はしたくない、と思っているだけだ。「異性愛者」はそんな苦労もせずに普通に生きているのだから、なんでわざわざゲイに生まれたというだけでそんな苦労を買って出なくてはならないのだ。普通に生きたいのだ。

同性婚の話に戻す。
僕は結婚自体には興味はある。配偶者控除だったり、入院や事故などの緊急時に連絡してもらえたり、どちらかが先立つときの葬儀の問題だったり、「家族」として保証されていれば色々とやりやすいことがたくさんある。
しかし、この記事で書いたようなことが自分の身に降りかかるのは面倒であるので「同性と結婚している」ということが誰が見てもわかる書類になってしまうのには抵抗がある。
そうした理由から僕は仮に同性婚が合法化されたとしても結婚しないという道を選ぶだろうし、今のところ社会的にカミングアウトして生きていくつもりはない。そういう話だ。

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by innocentl | 2017-10-04 13:05 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

妊婦様

使いたくない言葉だが「妊婦様」というものに遭遇した。
妊婦様とは妊娠していることを盾に傍若無人な振る舞いをする人のことを指すミームのようなものらしい。

朝の通勤電車に乗っていたら目の前の席が空いたので座ったら、席の前に女性とその夫と思わしき外国人が寄ってきた。外国人の男は僕に「ケガ シテマス?」と質問をした。
「なんでそんなプライベートなことを初対面のあなたに話さなければならないのだ」と怪訝に思いつつも、「いえ」とだけ返事をすると、その外国人は「カノジョ、ニンシン」と言い放った。
要は席を譲れという話だったようで、妊婦ということを出されちゃ周りの目もあるし譲るしかないかと思ったものの、朝の通勤電車というストレスやその外国人の物言いが癇に障ったこともありいつもより低いトーンで「どうぞ」と言って席を譲った。

この時点で「なんでピンポイントで自分に声をかけたんだよ。終点まで乗るから座りたいのに」と少し苛ついていたのだが、席を譲られた女は「当然でしょう」みたいな顔をして着席し、カバンからおにぎりを取り出して食べ始めた。朝の通勤電車でだ。
男は男で女の髪を撫でたりキスをしたり、周りが一切目に入らない様子でまるで前戯のようなことをし始めて「オエッ」と思ってしまった。

よくある話なのかもしれないが、こうした夫婦を「気持ち悪い」「不快」だと思ってしまうのは自分がセクシャルマイノリティだからなのだろうか。
自分も女性と結婚して子どもを育てる可能性があるということだったら、「まぁお互い様ですよね」と微笑ましく受け取ることができる出来事だったのだろうか。

聖人ぶるつもりはないのではっきり書くが、女性性を感じさせるもの(女性そのもの、ではない)は、生理的な部分で自分にとっては嫌悪感のあるものだ(もちろん外では出さないが)。その中には妊娠や子どもといったキーワードも含まれると思う。
余談だがセクシャリティに基づく、もしくはそれから派生するものを「生理的に無理」と感じる気持ちはよくわかるので、自分は別に他人に「ゲイを気持ち悪いだなんて思うな」とは言わない。「本音と建前」だけしっかりわきまえてくれれば、別に腹の内でどう思っていようが構わないと思っている。

だって異性愛者の人だっていきなり同性からキスをされたり、股間を見せつけられたとしたら「うわっ!」と思うだろうし、不快だろう。それと同じレベルで自分も異性愛的、特に女性性を感じさせるものにいきなり遭遇したら「うわっ!」と思ってしまうのだ。
それは突然目に入ってきたグラビアアイドルの着エロ写真だったり、クラブで踊っているときに密着してくる女性だったり、今回のように「妊婦ということを盾に傍若無人な振る舞いをする人に巻き込まれる出来事」だったり、「『女だからいいでしょ』と女性性を盾に大変な仕事をサボる同期社員を見たとき」だったり、事故のようにいつ遭遇するかわからない。

とにかく、不愉快な出来事に巻き込まれたな、と感じた朝だった。

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by innocentl | 2017-10-04 10:27 | 日常 | Trackback | Comments(0)

おゆうぎ

今から20年ちょっと前、まだ自分が幼稚園に通っていたころの話。
自分の通っていた幼稚園では「おゆうぎ会」(そういう名前だったかは定かではないが)という催し物があって、保護者を集めて発表会のようなことを行っていた。
もしかしたら運動会の中の「おゆうぎ」の時間だったのかもしれないが、ちょっと記憶が定かではない。

話を戻すが、自分たちはマライアキャリーの曲に合わせておゆうぎをさせられていた。
EmotionsだったかAll I Want For Christmas is Youだったかに合わせてダンスを踊っていた。

数年前たまたま通っていた幼稚園の前を通ったとき、園児たちがLADY GAGAのBorn this wayに合わせてダンスの練習をしていて、なんだか「この幼稚園の伝統なのかな」と思って少し面白かった。
今だったらアリアナグランデとかFifth Harmonyあたりに合わせてダンスするのだろうか?
今クラブミュージックやR&Bを好んで聴いたり、クラブに通ったりするのって、もしかしてこの頃の刷り込みみたいな記憶が原因だったりするのだろうか。

なぜにそんな尖った選曲をするのかさっぱりわからないが、おそらく昔から英語教育に力を入れているとアピールしていたからそれが原因の一つだろうか。
なかなかエッジの効いた伝統なのでぜひ絶やさずに続けていってほしい。

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by innocentl | 2017-10-03 11:36 | 日常 | Trackback | Comments(0)