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むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃。いつかのゴールドラッシュのようなその街を移民たちは“円都(イェンタウン)”と呼んだ。でも日本人はこの名前を忌み嫌い、逆に移民たちを“円盗(イェンタウン)”と呼んで蔑んだ。ここは円の都、イェンタウン。円で夢が叶う、夢の都。…そしてこれは、円を掘りにイェンタウンにやってきた、イェンタウンたちの物語。
岩井俊二監督の「スワロウテイル」のあらすじの一文だ。
20年以上前の映画だが、未来を予知していたのではないかというくらいしっくりくる名文だと思う。
もっとも映画が作られたころはバブルの崩壊からしばらく経って、だんだんとデフレが社会問題化してきた頃なので今よりもきな臭い世の中だったのかもしれないが。まだ物心もついていなかったのであまり社会情勢については覚えていない。

自分は1991年に生まれた。
バブル崩壊直後だったが、郊外で細々と職人をやっている家庭に生まれ育ったのでバブルの恩恵も受けていなかった。
バブルが継続しようが弾けようが「食うには困らないが贅沢はできない」という家庭だった。

90年代、バブル崩壊後の影響から大企業でリストラが問題になったり、就職氷河期だ、デフレスパイラルだとマスコミが日々報道する環境の中で幼少期を過ごした。
マクドナルドのハンバーガーや牛丼の値段が下がっただの上がっただの、そういった類のニュースがたくさんやっていたのは覚えている。

2008年にリーマンショックが起こった。
自分が高校生の頃だったが、政治経済を担当している教員が「これからの世の中、君たちにとってはとても厳しい時代になる。生きる力を身につけ、常に社会のことを知ろうとするように。そして選挙には行くように」と、当時リーマンショック問題について触れている新聞の切り抜きのコピーを配って世の中で何が起こっているのかを解説をしてくれた。
サブプライムローンがどういう制度で、どういう問題点があって、その結果リーマンブラザーズが破綻して、今後日本にどのような影響が出るのかを、じっくり話してくれた。
今思えば、彼は優しい大人だった。
進学校だったので政治経済を受験に使わない生徒は彼の声に耳も傾けず、英語のテキストを読んだり予備校の宿題を内職していたけれど、自分は彼の話を聞けて良かったと思えている。

2011年に東日本大震災が起こった。
震災当日は友人と茨城の大洗付近に出かけていたので震災の全容をつかめたのは翌日になってからだが、あの時に感じた先行きの見えない不安感は今でも覚えている。
それと同時に震災は日本の弱い部分を暴いたとも思う。
震災前はどこかで自分たちの将来や政治について楽観している部分もあったが、東京電力の原発問題や政府による隠蔽、鈍すぎる初動などを見て、「この国や企業は妄信しているだけでは食いつぶされてしまう」という不信感が芽生えた。
オリンピックの演説で「福島は完全にアンダーコントロールだ」と発言した首相を見て、どこか白けた目で見てしまったのも覚えている。
良くも悪くも震災前後で価値観や社会的なムードは変わったと思う。

不安がはびこる社会の中、激化する就職活動を経験した。
求人票を見るだけならかなり条件の良い、県で1番の資本力を持つ学校法人グループに200倍の倍率を潜り抜けて就職した。
このまま人生安泰だと思っていたら、まあ就労環境も悪く人の入れ替わりが激しい職場で、長時間労働させるくせに残業代も支払われないところだった。

日本という国には不信感と諦めの気持ちしかない。
生まれ育った環境や文化などは郷愁的な意味で愛すべきところもあるけれど、少なくとも若者が希望をもって暮らしていける土地ではない。

日本は貧しい国だと思う。
こう発言すると「でもこんなに社会資本が整っていて、治安のよい国は他にないよ」と返してくる大人もいる。
彼らは「日本が凄かった」時代を知っているからこそ、この斜陽、いや没落してしまった日本の体たらくを信じたくないのだろう。
「むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃」の幻想に縋りつかないとプライドを維持できないのだろう。
実際失業してみて、この国の社会保障の弱さと弱者の切り捨て具合を身をもって経験したので、セーフティーネットも正常に機能していない日本という国の貧しさを実感した。

過去に縋っていては何も変わらないと思う。
まずはそうした過去に縛られた大人たちも「日本が貧しくなった」という現実を受け入れ、そのうえで立て直す方法を考えるなり、一度ぶっ壊してから作り直すなりの方法を考えるのが解決への方法なのだろうと思う。

若者は数が少ないので、声が届かない。
低賃金でその日の生活すら苦しい日々なので、政治的な活動に注力するお金と時間も若者にはない。
せめて選挙に行くとか、その程度しかできないが、何か一つでも「日本に生まれてよかったな」と思えるような未来が来ないだろうかと、最近たまに思う。

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by innocentl | 2016-12-29 12:48 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

マウンティング

すっかり一般的になった「マウンティング」という言葉。
恋人の有無や容姿、月収や交友関係などさまざまなことにおいて「自分の方が上」だということを誇示したい人がする、意識的・無意識的な格付け(や、それに準ずる言動)を意味している。

「クリスマス一人なんてかわいそうだね。私だったら考えられない」とでもSNSで発言すれば、「あいつマウンティングうぜぇな。彼氏がいるってことがそんなに偉いんですか」とヘイトを生む。

自分自身、マウンティングをかけてくる人や好戦的な人は苦手だ。
そういう人たちは良くも悪くも野性的というか、動物同士の力関係をはかる行為の「マウンティング」という名が示すように、たいていいつもギラギラと餓えた目つきをしているので怖いなと感じている。
向こうも向こうで、自分のようにダウナーでカースト外の人間はハナから眼中にないようで、面と向かってマウンティングをかけられたことは少ないのだけれども、SNSには全方位にマウンティングをかけているクソババア(注:ゲイの言う『ババア』はゲイの男性のこと)が多くいる。

そういう人たちは「自分の考える基準の中で」少しでも人より優位に立っていることに喜びを見出す宗教を信仰しているだけなので、そっとしておくしかないと思う。
学歴が一番大事だと考えている人は、高卒で年800万稼ぐ人よりも院卒のニートの方が素晴らしいと考えているだろうし、恋人がいることが大事なことと考えている人は3ヶ月単位で出会いと別れを繰り返している人の方が、仕事や友人関係に重きを置いてあえて独り身でいる人よりも素晴らしいと考えているだろう。
僕も今までの人生観のバイアスが邪魔をしてまるで「高卒の高所得者」や「あえて独り身を貫く人」の方が尊いかのような書き方をしてしまったが、これこそ宗教なのでどちらが良いか悪いかなどはない。外野がとやかく言ったり、是正してやろうと躍起になる問題ではない。彼らはそういう信仰なのだ、というだけだ。

そんな話はさておき、世の中はマウンティングに過剰になりすぎていると思う。
「ボーナス出た」と誰かがつぶやけば、「ボーナス出ない人だっているのに自慢かよ」とヘイトを生む。
「クリスマスのために食材買ってきた」と誰かがつぶやけば、「恋人いますアピールかよ」とヘイトを生む。

あえてマウンティングをかける人はそりゃあ思慮が足りない気もしないでもないが、あくまで日常会話の一つとして発言したことが揚げ足取りのように「マウンティング」扱いされるのは言葉狩りなんじゃないかとも思う。
人は全員違う人生を生きていて立場も違うので、その人の「日常」が、他の誰かにとってはどうあがいても手に入らない羨望の対象であるかもしれない。だが、それは誰だって一緒だと思う。
自分だって「低所得のフリーランスで毎日カツカツだよ」と思って生活しているけれど、会社のしがらみに悩む人からは「でも嫌なクライアントの仕事は断れるんでしょ。羨ましい」となるかもしれない。
逆に自分は会社員の安定した給与が今となっては羨ましいなと思うのだけれども。

余裕がないときはギスギスすると思う。
自分だって恋人がいないときにSNSでデートの報告をしてくる人を僻んでしまった時期もあるし、端的に「こいつムカつく奴だな」と思った人だっている。
それはそれで仕方のないことだと思うし、仲間内で愚痴や悪口を言い合うことになるのも仕方ないと思う。
でも、SNSで攻撃をするならせめて、その人は客観的に見て「『意識的に』『攻撃として』マウンティングをしてきているのか」を考えてから反応した方が、きっと他人から見られたときに頭が悪い人にはうつらないと思う。
人を攻撃する目的でマウンティングをかけているのならば反撃される可能性もなきにしもあらずだが、日常会話として自分の立場を語っているだけの人を攻撃するのは、自分の価値を下げて人を遠ざけるだけだと思った。

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by innocentl | 2016-12-22 17:44 | 日常 | Trackback | Comments(0)

幸せの基準

「誰かの役に立ちたい」「誰かのために何かできることが幸せ」というのはとても美しいようだけれど、幸せの基準を他人にフォーカスしてしまうと確実に崩壊する。
どんなに身を粉にして尽くしても、結果を決めるのは他人である以上骨折り損で終わってしまうことだってある。
そうすると「こんなにしてやったのに」と憤ったり、悲しくなったり、自分が打ちのめされてしまう。

自分が心身ともに健康的に生きながらえるためには、幸せの基準は自分自身にフォーカスしてあげないといけないと思う。
というのも、ここ数年で自分は「自分を甘やかしてあげられるのは自分しかいないしな」と思うようにしていて、なるべく本能に忠実に生きようと心掛けている。
どれだけ努力したところで前の会社では評価もされず、今までさんざん「いい子」で振る舞ってやった家族にも退職をきっかけに邪険に扱われるようになり、「人のために生きるのなんて何もいいことねぇな」と思ってしまったからだ。
なまじ優等生として社会に出るまで通ってきてしまったので、「人からの期待に応えること」が自分の喜びであると内面化してしまったのだ。

自分が本当にやりたいことをやったり、本当に好きな人と一緒にいたりすると、文句を言われてきた。
その都度「これはいけないことなのだ。いけないことをしてしまって周囲をがっかりさせてしまったかもしれない」と自己叱責をしたものだが、人なんて何もしていなくても嫌われることもあれば、どんなに傍若無人に振る舞っても見捨てないでいてくれる人もいるもの。
つまり人からの評価なんて気にするだけ無駄で、だったらやりたいことを遠慮なく選ぶべきなのだ。

天涯孤独になったからこそ、日本社会にありがちな「世間様とウチ」のような呪縛からは解き放たれ、そこそこ自由に生活することができている。
かといって「お前らも家族を捨ててやりたいことをやってみろ」と言うわけではない。
会社勤めをしていればそこでの人間関係のしがらみもあるだろうし、どんなに仲のいい家族でもすれ違うことはあるだろう。
切っても切れない関係がある中で、「人のために生きる」のに固執するのを止めた方が生きやすくなるよ、というだけの話だ。

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by innocentl | 2016-12-22 17:06 | 日常 | Trackback | Comments(0)

ホモランドセルに思う

先日、とあるテレビ番組で「ホモランドセル」が紹介された。
ホモランドセルとはゲイの間で流行している(と言われている)、THE NORTH FACE製の四角いシルエットが特徴的なバックパックのことだ。
数年前からなぜかゲイの間で流行しているので、「ホモのランドセルみたいなものなんじゃない」という自虐的ともとれる呼称が一部でされていた。

番組では「ゲイの間で最近流行しているアイテム」という表現で紹介されたそうだ。
それに対して「ゲイに限らず使われているアイテムなので、こんな放送をしたら明日学校でいじめられてしまう中高生も出てくるんじゃないか」「メディアでのアウティング事例なのではないか」とツイッターでは一部ユーザーが騒いでいたのを拝見した。

ここではこの際アウティングがどうとかメディアリテラシーがどうとかそういった話は置いておいて、個人的な「ホモランドセル」に対する思いを書こうと思う。

一番最初にNORTH FACEのカバンを見かけたときは、アウトドアファッションが好きな人たちが身に着けていたように思う。
ほどなくしてゲイの中でも身に着ける人が増えてきたと思うが、今から7~8年前くらいだとやはりアウトドアファッションや若干スケートパンクっぽい、ストリートなファッションをしている人が身に着けだしていたような気がする。
アウトドアな文脈でのファッションはさておき、ストリートなテイストにわりと大き目なバックパックを背負うことは「ハズし」になり、活発な印象ややんちゃなイメージを演出するために使われていたように思う。

ほどなくすると猫も杓子もこのバックパックを身に着けるようになるようになったが、流行すると「その合わせ方間違ってんじゃね?」というような人たちも増えてきた。
アイテムが先行してしまっているので全身のファッションに気を使うわけでもなく、「サイズ感のおかしいシャツに、流行ではない丈のパンツにバックパックを合わせました」というような格好というか、語弊を恐れずに言えば「ファッションに何の興味もないオタク気質のゲイがとりあえず『アイテムが』かわいいと思ってNORTH FACE買っちゃいました」的な人たちが増えてきたように思う。
もともとガチなアウトドアファッション以外に合わせるためにはハズしとして使われてきたアイテムなので、全身モサいところにそれをやってしまうと「遠足の小学生かな?」というような出で立ちになってしまう。
全身ハズしていたらそれはダサい。

別に自分もファッションに気を使うほうではないが、年相応であることやサイズ感だけは身だしなみとして意識するようにしているので、そういった人たちを見ると「なんだかなぁ」と思ってしまう。
パサパサの金髪にドン・キホーテで買ったような服を着ているけれど、カバンだけはシャネルのヤンキー女のようだな、と思ってしまう。

アイテムそのものに惹かれて「いい!」と思って購入に至ることはもちろん誰にだってあると思うけれど、最低限の身だしなみをしてから楽しむほうがもっと本人もアイテムも魅力的に見えるだろうにもったいないな、とは思う。

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by innocentl | 2016-12-10 10:44 | 日常 | Trackback | Comments(0)