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by innocentl | 2016-09-28 23:05 | Trackback | Comments(0)

手紙と降参

母から手紙が届いた。
去年の年末に家出同然で家を出て生活し始めて、気がつけば夏を迎え、秋の気配が迫ってきている。
もうすぐ1年が経つ。

母からの手紙は短く、小さな便箋2枚に謝罪の言葉と、毎日心配しているということと、「元気に生きてさえくれていればそれでいい」という言葉が書いてあった。
緊急時のためにせめて電話番号だけは教えてくれ、とも書いてあった。

手紙を読んで、僕は泣いた。
ワッと号泣するわけでもなく、じわじわと滲み出す涙が止まらずにさめざめと泣いた。

家を出てから辛いこともたくさんあった。
なかなか思うように仕事が増えず、失業保険と僅かな原稿料とバイト代だけでは奨学金やら税金の支払いがままならずに物も食べられなかった時期もあった。
家族を恨んでばかりいたし、心が折れそうな毎日で、まさにどん底だった。
でも辛い気持ちは母も同じだったのだろうと今では理解できる。
子どもが着の身着のまま突然行方を眩まして、絶縁宣言を言い渡されて、辛くないわけがないと思う。
ただ、その選択をするのだって生半可な気持ちで選んだわけではなかった。自分も実家に身を寄せていた数ヶ月で精神的な色々を磨耗していたし、傷ついていたし、そう選択せざるを得なかった。

仕事が終わった後、深夜までやっている喫茶店で返事を考えた。
久々にペンで便箋に物を書き付けるので、なかなかうまく筆が進まなかった。

手紙には前の会社の社長さんに今の仕事を紹介してもらったこと、なんとか物を食べられるくらいの生活は送れていること、実家にいた時期に自分も傷ついていたこと、迷惑をかけてしまったことへの謝罪を書いた。
ずっと心配してくれていたことに対する感謝の気持ちも書いた。
ただ、自分が死ぬまでもう二度と会うつもりがないことも書いた。顔を合わせたらまたどこかで衝突してしまう機会があるはずで、今度こそ修復が不可能になってしまうこと、それを防ぐためには二度と顔を合わせない方が良いし、電話番号も教えるつもりもないということを書いた。
20年と少しの間、あなたの子どもでいられて幸せだったということ、肌寒い日が増えてきたので体調に気をつけてほしいこと、自分が事故や病気で死ぬ際は妹に連絡が行くよう手続きをすると書き、「最初から息子はいなかったものだと思い、どうか穏やかに生きてください」と書いて手紙を締めた。

恨み言を書くつもりはなかったのだけれども、書き終わってから読み返してみると幾分突き放したような、ぶっきらぼうな文面に仕上がってしまった。かといって小説家じゃあるまいし、感傷的に物を書けるだけの才能もなく、納得はできないがその文面で良しとした。
封筒に宛名を書いて、糊付けを終えたとき、23時過ぎになっていた。

この手紙を出せば全てが終わってしまう。
手紙を読んだらお母さん、また泣いてしまうかな、と母の泣き顔をぼんやりと思い浮かべた。
最後までダメな子どもで申し訳ないな、妹も関西に引っ越してしまうというのに、夫婦二人ぼっちになってしまうな、などと取り留めのないことを考えながら区で一番大きな郵便局の深夜窓口を目指していたら涙がまた溢れてきてしまった。

最後の最後まで、「電話番号くらいは書いてあげた方がよかったんじゃないか」と迷ったが、結局書き上げた文のままの手紙に82円を支払って、封筒は職員の手に渡った。

金曜日の深夜に出した手紙は、おそらく今日には届いているはずだと思う。
お母さん、今ごろ泣いているだろうか。また泣かせてしまっただろうか。

家を出た頃に感じていた怒りや悲しみ、許せないという気持ちはだいぶ和らいできたけれども、やっぱり蟠りが解消ができたわけではなく、「こちらこそごめんなさい」で一件落着にはできない問題なのだ。
会わないことで解決することでもないと思うけれども、かといって会って衝突してまた精神を磨耗して…というのも正しいわけではないと思う。

白旗をあげた、戦いを放棄した、降参したのだ。

でも、もし自分が先立つことがあれば、せめて骨くらいは拾って欲しいな、なんて思ったりもしてしまう。
もう自分でもよく分からない。

心がざわつくけれども、このざわつきは安定剤を飲むようなものでもないし、飲んだからといってどうにかなるものでもない。
一人なんだ、自分は正式に家族を切り捨てたんだという事実を受け入れるだけなのだと思う。
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by innocentl | 2016-09-25 17:37 | Trackback | Comments(0)

大好きな2人

宇多田ヒカルが新しいアルバムを引っ提げてカムバックしてくる。
しかも新アルバムには自分の好きな椎名林檎ともコラボレーション楽曲も入ってるという。
椎名林檎も宇多田ヒカルも、おそらくドンピシャの世代からは自分は少し年下になる世代だが、背伸びしたがりだったので2人ともよく聞いていた。

2人の黄金期に青春時代を過ごした人たちは「あと10年早ければもっと話題になったんじゃないか」と言っていたが、自分にとっては今が一番いいタイミングだった。
青春時代に宇多田が音楽活動を休止し、お気に入りのアーティストの新譜を聴けなくなった日々で東京事変にハマり、その流れで椎名林檎のアルバムを聴くようになった。
「長く短い祭り」や「NIPPON」で本格的に椎名林檎にハマったところに、宇多田が復活するかもしれないという噂が流れてきた。

朝ドラの主題歌になった「花束を君に」は、それまでの打ち込みのサウンドではなく、生楽器が使われているのが特徴だという。
人の心境なんて刻一刻と変化していくものなので、「ああ、宇多田は今そういう気分の時期なんだな、子どもも生まれたし温かくて優しい曲を歌いたいのか」と思ってはいたが、やはりULTRA BLUEやHEART STATIONの頃のような「孤独」とか「欝々とした感じ」とか「寂しさ」とか「儚さ」とか「その中にあるほんの少しの希望」みたいなものを聴かせてほしかったな、と感じていた。

しかしラジオで流れてきた「道」を耳にしたとき、そしてこの椎名林檎との「二時間だけのバカンス」を聴いたとき、「あの宇多田だ!」と歓喜してしまった。
宇多田特有の切なくて、儚くて、どこか愁いを帯びていて、でもアップテンポな打ち込みのDTMに乗せて歌声が響いてくる、あの密室的なサウンドだった。

完全に帰ってきたと思った。
活動休止中に色々なこともあっただろうが、自分の求めている宇多田らしさは一切失われていないサウンドに心が躍った。
早くアルバムを買いたい。
何度も繰り返し聴いてみたいと思った。

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by innocentl | 2016-09-16 18:49 | 日常 | Trackback | Comments(0)