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あの海へ

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一人で商店街を歩いていたら、ふと海へ行きたくなった。
理由などなく、ほとんど衝動的だった。
突然思い立ったことなので、到着した頃にはもう15時過ぎであった。

特にこれといって用事もなく、強いて言えば海を見たかっただけなので、そのまま海岸線を行ったり来たり歩きながら写真を撮ったり、貝殻やシーグラスが落ちていないか見回していた。
途中、女性の二人組に写真を撮ってくれないかと声をかけられたので、その対応もしていた。

一昨年の12月、この海に来た。
その頃は前職の仕事でだいぶ参っていて、せっかくの外出だというのに気が晴れなかったが、砂浜に降り立った瞬間何かに突き動かされるように走り出した記憶がある。

海のない地域に生まれ育ったので別にこの場所が僕にとってのパワースポットだの何だの臭いことを言うつもりもないが、なんだか不思議な体験だったなとは思っている。
その日は雨がしとしと降っていたのに、僕が海岸にたどり着く頃にはそこだけぽっかりと晴れの空間ができて夕日が眩しかったから、余計に神秘的な何かを錯覚してしまったのかもしれない。

あの時は諦めることを選ぶ勇気をこの海がくれた気がする。
今日は、新しく踏み出す勇気を与えてくれるものになってくれればいいなと思った。

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あの頃。
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by innocentl | 2016-02-28 20:37 | 日常 | Trackback | Comments(0)

恵まれている

「今が一番幸せなのかもよ。あなたは恵まれている」と言われた。

ある意味ではモラトリアム期間なわけで、無駄なことを考えすぎる時間があるというのは幸せなのかもしれない。
いま、今後の方向性、身の振り方について悩んでいる。
フリーでやっていきたいと豪語したものの現実問題として壁を乗り越えるには高すぎる気がしてならず、「とりあえず今できることに一生懸命取り組もう」というモチベーションも下がってきてしまっている。

ようやく今月から3ヶ月間失業保険給付が始まるため、先日ハローワークへ認定処理をしに行ってきた。
窓口で認定に関する話を少しし、職員がいくつか「あなたが今取り組んでいるものに近い求人票をいくつか持ってきたので参考にしてみてください」と求人を紹介してくれた。

平日の13時過ぎに行ったハローワークでは100台近い求人検索のパソコンが8割方埋まっており、若い女性からスーツを着た自分と同じくらいの年齢の男性、中高年やもう定年なんじゃないかというくらいのおじさんまで、さまざまな人がいた。
自分もただ認定に来ただけというのもなんとなく嫌な気がしたので、30分ほど求人検索のPCをいじっていた。
だいぶ条件を絞ってわがままな求人を検索したつもりだったが、40件近く希望職の求人票が出てきた。
実際のところ求人票通りの内容ではないだろうし鵜呑みにもできないが、きっとチャレンジしてみる価値はあるのだと思う。

ただ、不安だ。
前の会社はおかしかったのだと思うが、もしまた前のような状況になってしまったら、もし前よりも酷いところだったら、と思うと、なんだかモヤモヤとした気持ちになってしまい怖くなってしまう。
やりたいことは見えつつあるので、あとは踏み出すだけだと思う。
経験を積めばたとえ次の会社があまりよくなかったとしても、同業種に乗り換えは楽になると思う。
頭ではわかっているのに、不安なのだ。
かといってフリーでやっていくのはそれはそれでまた辛いのだということはわかる。
今は逃げているのだと思う。

家に帰ってから、ずっとカバーをかけっ放しだったスーツを着てみた。
退職後に少し太ったとはいえ、なんとか問題なく着ることができた。

いつまでも現状に甘んじていてはいけない。
まずは生活リズムを会社勤めをしていた時と同じレベルまで持っていかなければ。
今の執筆の仕事にプラスして、職探しをしてみよう。
5月、6月までには、何かしら現状を打破していたい。

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by innocentl | 2016-02-27 18:08 | 日常 | Trackback | Comments(0)

蛇の美しさ

今、蛇と暮らしている。
カリフォルニアレッドスポットガータースネークという種類の蛇だ。
体長は60センチほどで、黒地の鱗に側面には赤の斑点、背中には蛍光グリーンの一本線が尾まで伸びているという、なかなか毒々しい配色をしている。

ワニのような縦長の瞳孔の目ではなく、まるい黒目がポチッと存在するだけなので非常に愛らしい顔をしている。
基本的にガータースネークはおとなしく、攻撃的でない性格をしているので飼育も楽らしいが、家にいる子は少々臆病である。
触ろうとすると抵抗して暴れまわるが、いったん手のひらに乗せてしまうと堪忍したかのようにおとなしくなる。
おそらく変温動物ゆえに人の体温が心地よいのだろう。
蛇は想像していたよりも動きが速く、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように移動をすることもある。
興奮した蛇を部屋で逃がしてしまったら絶対に追いきれないだろう。
アニメなどではのっそりとにょろにょろ動くイメージがあっただけに、シャーシャーと滑るように移動する蛇を見て最初は驚いた。
カブトムシかと思っていたらゴキブリだったかのような、移動速度に関してはそれくらいのギャップを感じた。

エサは週に2度ほど冷凍マウスをあげている。
我が家の冷凍庫にはジップロックのようなプラスチック容器に入ったネズミが20匹ほどいるが、毛の生える前のピンクマウスなので見た目は手羽先か何かの肉を冷凍保存しているかのようで、見た目に不快感はない。
そもそもネズミ自体もハムスターとほぼほぼ同じものであるので、触ったりエサやりをすることにも抵抗がない。
爬虫類のエサ用にきちんと殺菌された状態で梱包されているものなので、冷凍庫で保管していることにも何ら抵抗ない。
本当に「ちょっと余った肉を冷凍保存しているだけ」のような感覚だ。

エサを目の前にちらつかせると、小さな体をバネのように伸縮させて、その小ささからは想像できないほどの力でネズミに噛み付き引き込む。
長い体でネズミを締め付けるように丸くなり、しばらくすると口を大きく開いて頭からネズミにかぶりつき、ゆっくりと飲み込んでいく。
ゆっくりと、と言ってもけっこうなスピードだ。
もっと時間をかけて消化をしていくものなのかと勝手に思っていたが、30秒もあればエサを飲み込んだばかりなのだとは信じられないくらいの「いつも通り」の姿に戻っている。
最終的にネズミのしっぽだけが蛇の口からちょろっと出ている姿を見ると、なんだか食後につまようじで歯の掃除をしている人間を彷彿とさせ、システマチックな動きでネズミの死骸を絞め殺す仕草をし、その後それを丸呑みしたばかりだという残酷さや生命力のような神秘的なものから、どこかコミカルな人間臭さを感じさせて笑ってしまう。
エサを飲み込むためには口を大きく開けなければならないため、蛇は最初に顎を外すという。
食後に蛇は口をパクパク動かし、外した顎をもとに戻すための微調整をする。
その姿も「あー、お腹いっぱい」とでも言っているかのようで、非常に愛らしい。

犬猫はかわいい上に社会性を兼ね備えた動物なので、家族の一員として迎え入れて共に生活をしていくのが楽しい。
蛇は必要以上に干渉せず、外から彼らの生命力を感じたり、ガラスケースの中を動き回っている姿を見て色々と想像するのが面白い。
犬猫に比べて原始的な生物であるため、一見無意味であるように感じられる行動のすべてが「生」に直結している感じが好きだ。

水を飲んだりエサを食べたり、ケース内の流木に絡まっていたり、シェルターの中で眠っていたり、全ての行動に生命力を感じる。
蛇のように直感的に生を求め生きてみたいものだな、と思う。

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by innocentl | 2016-02-23 18:46 | 日常 | Trackback | Comments(0)

影を追いかけて

昨年から物書きの仕事を始めた。
フリーランスを名乗るにはまだまだ仕事量が足りないし、失業保険の給付が終了するころまでには今の3倍から4倍くらいの原稿をコンスタントにこなせるようにならなければいけないとは常々思っているのだが、最初の一歩は確実に踏み出せている。

物書きになろうと思ったきっかけをくれた人のことは何度かここにも書いている。
高校生の頃の自分の文章を読み、「物書きになるべきだ」と言ってくれたかつての友人。
自分自身も音楽誌などでライティングをしながら、編集業も行っていたあの人。
病気を苦にして(なのかはわからないが)自ら命を絶った人。
あの人が自殺をしてからこの2月で6年経った。
今でもたまに遺書を読み返すことがある。

「そこそこの大学を出てそこそこの企業で安定した人生を送りたい」と思って学校法人に就職をした自分が、本当は文章を書くことを生業にしたいと思っているのだとは自覚しないようにしていた。
好きなことを仕事にしてしまったら言い訳ができなくなるのが怖かったのだと思う。
自分の世界の中で完結していれば批判されることもない。その代わりに読んでくれる人は限られてくる。

高校生の頃の拙い文章を読んで、あの人は「リズムがいいね。引き込まれるよ。大学に入ったら仕事を紹介するから文章を書いてくれ」と言ってくれた。
「嘘だろう」といまいち真剣に取り合わなかったのが今でも悔やまれる。
大学に合格したのを報告しようと思っていた頃、彼は自殺をした。

死んだ人やその人との思い出を変に美化して語り部にすることには抵抗があるが、僕にとって彼は確実に人生を変えてくれた存在だった。
もっと真剣に語り合って、文章のことを教えてもらいたかった。
「年上の友人」という枠組みだけでなく、ビジネスパートナーとして、先生として、先輩として、ライターとして、編集者としての彼を見てみたかった。
今思えば淡い恋心のようなものすら抱いていたような気もする。

今後の人生、彼の影を追いかけたり、見失ったりして生きていくのだと思う。
大人だって弱さはあることを教えてくれた、少し見栄っ張りだった彼。
全てが全て尊敬に値することではなかったかもしれないが、そういう弱さや強がりや心の闇みたいな人間らしさも含めて彼が好きだった。

彼が好きだった。
ずっと、いつまでも追いかけてしまうのだと思う。
物書きとして、編集に携わるものとして、一人前になった自分を見たら彼は何と言ってくれるだろうか。
葬式に出られなかったせいもあるかと思うが、まだ彼の死は僕の中で完結していない。
いつか受け入れられるときが来るとして、僕は何を思うのだろうか。
4年付き合った彼氏との思い出はすっかり風化してしまったが、彼の存在は影のようについてくる。

僕が東京を離れたがらないのも彼の呪縛のようなものなのかもしれない。
彼のコピーキャットではいけないのは理解しているが、もう少しだけ彼の影を追いかけたい。

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by innocentl | 2016-02-09 18:04 | 日常 | Trackback | Comments(0)

理想的な親と足枷

頑張らなければ褒めてもらえなかった。
ある意味で正しい子育てだと思う。宿題をやれば褒めてもらえる、お手伝いをすれば褒めてもらえる、成績が上がれば褒めてもらえる。
今でも気がかりなのが、ありのままの姿を認めてもらえなかったことだと思う。
自身がセクシャルマイノリティであることにも関連するのかもしれないが、「存在するだけでかけがえのない人なのだ」という言葉を知ったのはだいぶ大人になってからだった。
親に振り向いてもらうために嘘の自分を演じ続けていた。
好きでもないスポーツ教室に無理やり通わされ続けていたが、本当はダンスやテニスを習いたかったと言えなかった。
絵や音楽に興味があったが「男は運動部以外の選択肢はない」という家庭だったので、仕方なく部活も運動部に入った。

成績面や運動など自分より劣った人が親と仲睦まじく過ごしている様子を見てよく不思議に感じた。
なぜ成績もよくないのに、運動もできないのに、親と仲良く過ごせるのだろうかと、本心から疑問に思っていた。
親にとって子はどんなことがあろうともかけがえのない存在なのだということが世の中のメインストリームだということを知ったとき、にわかには信じられなかった。
「そうは言うけれど出来のいい子供のほうが愛されるに決まっている」と信じたかったのかもしれない。

周りは「頑張っている僕」の姿を評価しているだけで、本来兼ね備えている性質は全くもって愛されるに値しないものであったのかもしれない。

友人と遊ぶことは悪いことではないと知ったのも衝撃だった。
友人と遊ぶと親はいい顔をしなかったため、中学に入ってからずっと友人たちと遊びに行くことを控えるようになった。別に親も友人と遊ばないように強制をしていたわけではないのだが、やんわりとした束縛がそこにはあった。

親に気に入られるためだけに生きてきた人間は上昇志向が高いという論文を読んだことがある。
ただ、その上昇志向とはポジティブなものでは決してなく、自らに高い目標を課し成功したら「失敗しなくてよかった」とホッとするためだけのものであるそうだ。
失敗したら当然自責、かといって頑張ることを辞めるのは「評価されない行為である」と思い込みさらに自責という、とにかく負のスパイラルだという。
その手の子供を育て上げる親は子が自殺することすらある意味美談にするという。
「頑張り屋さんだった、とてもいい子だった。そんないい子を産み育て、自殺で亡くした私はかわいそうだ」と涙する。
社会的な文脈の中ではそういう母親はおかしくもない、むしろ正常ですらあるように感じられるが、そんな親を持った当事者としてはその「あなたの親は立派であるという社会的圧力」に反抗できず、何がおかしいのかすら自覚できない。ただただ自分を責めるだけの方向へ向かってしまう。
社会を巻き込んだやんわりとした、あたたかい狂気だ。

自分の人生を生きるために、親というものは切り捨てて生きていかなければならないのかもしれない。
足枷を、首輪を外して生きていかなければならない。
いつまでも親の束縛や陰に怯えて生きているなんて、そんなものは人間の生活とは言えない。
もういい歳なのだ。いつまでも親のせいにもしていられない。

名前を変えたい。
戸籍を抜いて、名前も変えて、全く別の人間として生きていきたい。
もうあの家庭に自分は所属していないし、戻る場所もない。
帰りたくもない。

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by innocentl | 2016-02-04 20:48 | 日常 | Trackback | Comments(0)

リアリティがない

生きていることにリアリティがない。

いつもより長く商店街を歩き、普段歩かない場所に比較的大きなスーパーを見つけた。
普段行くスーパーよりも野菜が安く、バラ売りもしていた。
いい場所を見つけたぞと思いながら夕食のメニューをその場でぼやぼやと考えながら、一本10円の人参や一個15円のじゃがいもなどをかごに投げ入れていった。
家にコンソメがあったからコンソメスープにしようか、ホールトマトと鶏肉を買ってトマト煮込みにしようか、カレールーを買ってカレーを作ろうか。
平日の15時前だというのにけっこうな盛況で、レジ前にはそこそこの列ができていた。

結局豚肉二パックとカレールーを追加で買い、今夜はカレーにすることにした。
食費を入れる使い古しの財布から小銭を取り出し、改めてレジに表示された値段を見て品物の安さを再確認し、こんなことならもっと早くここを見つけていればよかったと少しだけ後悔した。

買い物袋をぶら下げて、商店街を家とは反対方向に歩き出した。
商店街を抜け5分ほど歩き続けると、傾き始めた日差しが眩しい荒川土手沿いに出る。
太陽を背にして長い影と一緒にとぼとぼ東へ歩き続け、横目で練習中の運動部や散歩中の母子などを見ていた。

今の僕には生きる目的がない。
明日生きられる分だけの日銭を稼いで、彼氏の帰りを夕飯を作りながら待つ生活。
これでいいのだろうか。

自分自身をコントローラーか何かで操作しているようだ。
腹が減った、眠りたいなどの本能に従って、命をつなぐだけの生活をしているようだ。
全てにおいてリアリティを感じられない。
怪我をしても、風邪をひいても、なんだか映画の中の登場人物が苦しんでいる姿を第三者的な目線から眺めているように感じられる。

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by innocentl | 2016-02-04 20:33 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

失敗

某映画監督のインタビューの仕事があった。
完全に言い訳になってしまうが直前で決定したことであったため、事前準備に時間が取れず、今回制作した映画すら観ることができなかった。

なんとか他のメディアのインタビュー記事に目を通したり、監督自身のバイオグラフィーなどを読み質問項目を考えたのだが、結果玉砕だった。
そのとき同席してくださった劇場スタッフの方にだいぶ助けられてなんとか取材を終えた。
浅い質問しかできず、他のメディアがすでに聞いたような質問ばかりしかできず、苦し紛れにとある事柄に対してのコメントを求めても自分自身の知識のバックグラウンドが追いつかずに変な雰囲気になってしまった。

自身の所属するメディアの特性上、映画雑誌や情熱大陸のようなかなり踏み込んだインタビューまでする必要はなかったが、最低限作品を見ておく必要があったし、質問も練るべきだった。
取材、特にインタビューは難しい。
事前にフレームワークを決めすぎても良くないし、ぶっつけ本番でも上手くいくわけがない。
「そこそこのフレームワーク」を組み立てるのが難しい。

ジャンルに特化すれば深く「読ませる」記事を書ける。
「何でも屋」でなければ仕事が増えない。

今回はうまくいかなかったが、次回こそは。
次回こそは一定のクオリティのものを用意せねば。
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by innocentl | 2016-02-01 19:31 | Trackback | Comments(0)