カテゴリ:真面目な話( 57 )

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃

むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃。いつかのゴールドラッシュのようなその街を移民たちは“円都(イェンタウン)”と呼んだ。でも日本人はこの名前を忌み嫌い、逆に移民たちを“円盗(イェンタウン)”と呼んで蔑んだ。ここは円の都、イェンタウン。円で夢が叶う、夢の都。…そしてこれは、円を掘りにイェンタウンにやってきた、イェンタウンたちの物語。
岩井俊二監督の「スワロウテイル」のあらすじの一文だ。
20年以上前の映画だが、未来を予知していたのではないかというくらいしっくりくる名文だと思う。
もっとも映画が作られたころはバブルの崩壊からしばらく経って、だんだんとデフレが社会問題化してきた頃なので今よりもきな臭い世の中だったのかもしれないが。まだ物心もついていなかったのであまり社会情勢については覚えていない。

自分は1991年に生まれた。
バブル崩壊直後だったが、郊外で細々と職人をやっている家庭に生まれ育ったのでバブルの恩恵も受けていなかった。
バブルが継続しようが弾けようが「食うには困らないが贅沢はできない」という家庭だった。

90年代、バブル崩壊後の影響から大企業でリストラが問題になったり、就職氷河期だ、デフレスパイラルだとマスコミが日々報道する環境の中で幼少期を過ごした。
マクドナルドのハンバーガーや牛丼の値段が下がっただの上がっただの、そういった類のニュースがたくさんやっていたのは覚えている。

2008年にリーマンショックが起こった。
自分が高校生の頃だったが、政治経済を担当している教員が「これからの世の中、君たちにとってはとても厳しい時代になる。生きる力を身につけ、常に社会のことを知ろうとするように。そして選挙には行くように」と、当時リーマンショック問題について触れている新聞の切り抜きのコピーを配って世の中で何が起こっているのかを解説をしてくれた。
サブプライムローンがどういう制度で、どういう問題点があって、その結果リーマンブラザーズが破綻して、今後日本にどのような影響が出るのかを、じっくり話してくれた。
今思えば、彼は優しい大人だった。
進学校だったので政治経済を受験に使わない生徒は彼の声に耳も傾けず、英語のテキストを読んだり予備校の宿題を内職していたけれど、自分は彼の話を聞けて良かったと思えている。

2011年に東日本大震災が起こった。
震災当日は友人と茨城の大洗付近に出かけていたので震災の全容をつかめたのは翌日になってからだが、あの時に感じた先行きの見えない不安感は今でも覚えている。
それと同時に震災は日本の弱い部分を暴いたとも思う。
震災前はどこかで自分たちの将来や政治について楽観している部分もあったが、東京電力の原発問題や政府による隠蔽、鈍すぎる初動などを見て、「この国や企業は妄信しているだけでは食いつぶされてしまう」という不信感が芽生えた。
オリンピックの演説で「福島は完全にアンダーコントロールだ」と発言した首相を見て、どこか白けた目で見てしまったのも覚えている。
良くも悪くも震災前後で価値観や社会的なムードは変わったと思う。

不安がはびこる社会の中、激化する就職活動を経験した。
求人票を見るだけならかなり条件の良い、県で1番の資本力を持つ学校法人グループに200倍の倍率を潜り抜けて就職した。
このまま人生安泰だと思っていたら、まあ就労環境も悪く人の入れ替わりが激しい職場で、長時間労働させるくせに残業代も支払われないところだった。

日本という国には不信感と諦めの気持ちしかない。
生まれ育った環境や文化などは郷愁的な意味で愛すべきところもあるけれど、少なくとも若者が希望をもって暮らしていける土地ではない。

日本は貧しい国だと思う。
こう発言すると「でもこんなに社会資本が整っていて、治安のよい国は他にないよ」と返してくる大人もいる。
彼らは「日本が凄かった」時代を知っているからこそ、この斜陽、いや没落してしまった日本の体たらくを信じたくないのだろう。
「むかしむかし、“円”が世界で一番強かった頃」の幻想に縋りつかないとプライドを維持できないのだろう。
実際失業してみて、この国の社会保障の弱さと弱者の切り捨て具合を身をもって経験したので、セーフティーネットも正常に機能していない日本という国の貧しさを実感した。

過去に縋っていては何も変わらないと思う。
まずはそうした過去に縛られた大人たちも「日本が貧しくなった」という現実を受け入れ、そのうえで立て直す方法を考えるなり、一度ぶっ壊してから作り直すなりの方法を考えるのが解決への方法なのだろうと思う。

若者は数が少ないので、声が届かない。
低賃金でその日の生活すら苦しい日々なので、政治的な活動に注力するお金と時間も若者にはない。
せめて選挙に行くとか、その程度しかできないが、何か一つでも「日本に生まれてよかったな」と思えるような未来が来ないだろうかと、最近たまに思う。

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by innocentl | 2016-12-29 12:48 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

The gay élite

レスリーキーが「The gay élite」と題した写真を発表した。
パリッとしたスーツに身を包んだ男性たちがそれぞれの所属する企業(グーグルや電通のような大企業)の名前を出して写っている。

「今までゲイであるということを隠し、あたかもゲイでないように取り繕ってきた人たちの中にもセクシャルマイノリティーは存在する(しかも、日本人なら誰でも知ってるあの有名企業の中に!)」という意図があって公開されたものだそうだが、これがなかなか賛否両論あるようだ。

もちろんエリートという言葉が持つ独特のニュアンスを汲み取れずに条件反射的に唾を吐きかけてる人もいるけれど、もう少し踏み込んで理解しようとしてみても「うーん……」と思ってしまう要素がある。

仰る通り、今までゲイでないように取り繕ってきた人たちの中にもセクシャルマイノリティーは存在するんだよというメッセージ性があるということは大いに意義があることだと思う。
やりたいことや表現したいこと自体は理解できるのだけれども、それは別に大企業とかエリートに限ったことではないと思うし、今回のキャンペーンによって「やっぱりゲイの人たちってエリートだったり、アートの才能があったり、何か違うのね!」と思われてしまったら意味のないことなのではないだろうか。

ゲイだろうとビアンだろうと普通の人がほとんどなのだということは何度も書いてきた。
メディアが打ち出すパブリックイメージとは反して「一般人の中にもゲイはいるんだよ」ということを伝えたくて僕はおよそ10年前にこのブログを開設したし、初期から徹底して「普通のゲイ」ですとアピールしている。

まぁ普通といっても大学出て企業勤めしたけれど、ドロップアウトしてフリーランスやってというかなり泥臭い経歴であるけれど。
日雇いや性風俗で働いて日々生きるのに精一杯な貧困ゲイだっているし、無職だっているし、「あなたの身の回りにも存在する人たちなんですよ」というメッセージを伝えるにはもう少しどうにかならなかったのだろうか、という印象がある。

まだ写真一枚のビジュアルイメージしか出していない企画なので外野があれこれ言うのも野暮なのかも知れないけれど、インタビューやその後の企画で少しでも何かアクションがあれば望ましいのにな、と泥臭い人生を生きている普通のゲイは思うのだった。

ただ、こうして批判も起こることも見越してのことなんだろう。
まずは注目を集めてから……ということなのだろうか。
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by innocentl | 2016-10-25 10:23 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

「メゾン・ド・ヒミコ」が嫌いな理由

「メゾン・ド・ヒミコ」という映画を見た。
結論から言うと、僕はこの映画が嫌いだ。

この映画のあらすじを引用すると

ゲイである父親(田中泯)を嫌い、その存在を否定して生きてきた沙織(柴崎コウ)は、春彦(オダギリジョー)という若い男から父がガンで余命いくばくもないことを知らされる。春彦は父が営むゲイのための老人ホームで働く、父親の恋人だった。

もう少し追加すると、ゲイたちが暮らす老人ホームの手伝いをすることになった沙織もしだいに施設のゲイたちと打ち解けていって……といった感じだ。

ゲイにとって老後はかなり切実な問題だ。
別にセクシャリティ関係なく老後というものは不安なものだと思うけれど、法律上で「夫婦」や「家族」が保障されているヘテロセクシャルと違って、ゲイはパートナーとの関係が保障されているものではないし、仮にパートナーが先だった場合の財産分与や死亡時の手続きなど、現状の制度のままではスムーズにいかないことが多いという問題がある。
法律上「夫婦」ではないわけなので遺族年金が出るわけでもないし、普通にヘテロのみなさんが抱えてる「不安」にプラスしての「不安」がある。

前置きはさておき、「ゲイの老人ホームが題材の映画」というだけでグッと惹かれいざ観てみたものの、全くの期待外れだった。
これは「沙織の物語」であり、沙織の周囲にいるゲイたちは沙織の行動や思考を正当化するためだけに働くただの舞台装置だった。
その登場するゲイたちも「異性愛者が描く、異性愛者たちに都合のよいゲイ」であって、全くもって人物像にゲイとしてのリアリティを感じず、徹底してファンタジー的な存在だった。
つまり沙織の父親がゲイでなくても、舞台がゲイの老人ホームでなくても成立してしまう物語だった。

とにかくゲイの人物はステレオタイプで記号的に描かれており、少女漫画的というかBL的というか、「またこのパターン?」というような陳腐さがあった。

最初の方はその淡々とした空気感や老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」の美しさに目を引かれたが、登場する「ゲイ」がバイセクシャル、トランスジェンダー、ゲイとごちゃ混ぜだったことにまずは違和感を覚えた。
性のグラデーションをカテゴライズするのもナンセンスなので、そういった部分も全てひっくるめて「ゲイ」として扱ってるのね、と好意的に解釈し直したが、おそらく制作陣に知識がないだけだと思った。
実際この作品の監督、脚本家はゲイの知識がないのだとインタビューで語っていた。

具体的にこの映画を駄作だと判断した部分は大きく分けて以下の2つだ。

山崎さんの扱いが雑すぎる
劇中にはゲイの老人ホームで暮らす「山崎」という男が出てくる。
少しなよっとしたタイプだが、見た目は普通のおじさんの男性だ。
彼は女装願望があり、部屋でこっそりドレスを着たりメイクをして楽しんでいるが、女装した姿は誰にも見せていなかった(し、見られたくなかった)。

ところが主人公の沙織が彼を後押しし、ドレスを着た姿で老人ホームのメンバーと一緒にナイトクラブに出かけようと誘う。

しかしその時の山崎の姿がドレスを着ただけで、ウィッグもかぶっていないしメイクも全くしていない。
首から上は普通におっさんで、ドレスだけ着ているというアンバランスさなのだ。
異装愛者なら「女性に対するあこがれ」があるわけで、表に出るならなおさら「女性らしさ」のエッセンスを取り入れるのではないだろうか。
山崎がトランスジェンダー一歩手前のゲイ男性として描かれているのだとしても同じことが言える。

そうして出かけた先のナイトクラブで、山崎は務めていた会社の同僚に出くわしてしまい「カマ崎」「オカマ野郎だと思ってたら本当にオカマだった」「気持ちわりぃ」と罵倒されてしまう。
これに沙織は憤り口論になるのだが、一緒に来ていた春彦が沙織を止めダンスフロアに連れ出し、その場面は終わってしまう。

ゲイの当事者としてみれば「知人にゲイであることが知られてしまい罵られる」というシチュエーションは観ていて動悸がしてしまうほどシリアスな出来事だ。
予期せぬアウティング、同性愛差別の言葉で罵られる、考えただけで胸が締め付けられる。

その後のことを書けば、「山崎をかばっている沙織の姿を見た春彦は沙織に惹かれ、ゲイであるのにもかかわらず沙織にキスをしてしまう」という場面が展開される。

つまり、ゲイにとってデリケートな問題である「アウティング」は、沙織と春彦の恋愛パート(?)を進めるためだけの舞台装置で、山崎の心中や葛藤については一切触れられていない。
山崎だってゲイであることをひた隠しにして一般企業で定年まで勤めあげてきたのだから、それ相応のバックグラウンドはあるだろう。
「なんであの人結婚しないんだろうね」「なんかナヨナヨしてるしオカマなんじゃない?」と陰口をたたかれてきた過去もあるだろうし、女装の願望があったけれどゲイコミュニティの中でもそれができなかった葛藤もあるだろう。
ストーリーを進行させるためだけの出来事なので、そういったことには一切触れられないのだ。
この辺りの無責任さがまず「あ、この映画つまんないわ」と思わせたきっかけだった。

春彦が沙織とセックスしようとする場面が意味不明
先ほども書いたが、ナイトクラブで元同僚に罵られる山崎を必死でかばう沙織の姿に春彦は心惹かれていく。
後日、2人はセックスをしようと試みる。

ここが意味不明だ。
ヘテロだって何か頑張っている同性の姿を見て「かっこいいな」「あんな風になれたらいいな」と、思うことはあると思うが、それがイコール「キスしたい、セックスしたい」の好きではないだろうと思う。
ゲイだって女に惹かれることはあるという「異性愛者の願望」がにじみ出ていて気持ち悪いシーンだった。
昔の少女漫画でオネエ系の男性が「あなたにだけは惹かれる」と主人公の女に恋愛的なアプローチをするといった場面があったが、まさにそれで「あー、結局『こうだったらいいな』的な少女漫画の陳腐なストーリーか」と完全に冷めてしまった。
「愛に性別は関係ないよね、好きになっちゃったら性別は関係ないよね」といった稚拙で矛盾だらけの同性愛理解を「こういう感じでいいんでしょ」とひけらかしてきただけの場面だった。

しかも春彦は瀕死の恋人の娘とセックスしようとしてるのだが、ヘテロに置き換えると「恋人が瀕死だけど、恋人の息子がなんかかっこいいし惹かれるから俺も一度くらいはホモセックスしてみようかな」的な台本になると思うのだが、滅茶苦茶すぎやしないだろうか。

結局は自分の勘違い
ただ、上に書いたような理由に憤るのは間違いだとも思う。
これはゲイについて取材を行ったうえで作られた作品でも、「ゲイの老後」というデリケートな話題に切り込んだ作品でもなく、「沙織という女の子が父との確執を解消する」少女漫画なのだ。
漫画なので主人公以外の登場人物はすべて舞台装置として機能し、それぞれの登場人物が抱えているであろう心の闇や葛藤には一切触れられない、沙織の物語を彩るだけのただの背景なのだ。

「ゲイの老後について触れた作品」ということだけで、過度な期待をして観た自分が悪いのだ。
少女漫画として観れば空気感もいいし面白いんじゃない?といったレベルで、決してセクシャルマイノリティ当事者がリアリティをもって心動かされたり、ヘテロセクシャルである視聴者に同性愛や老後にまつわる問題について何か一石投じた作品ではないのだ。

映画を見てこんなに不愉快な気分になったのは初めてだったので、長々と書いてしまった。
せめてきちんと取材をして、然るべき人に監修を入れてもらえればもう少し面白かったんじゃないかと思った。

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by innocentl | 2016-10-18 18:15 | 真面目な話 | Trackback | Comments(1)

野獣先輩動画に思うこと

TwitterでAV女優(男の娘系なので正確には男優?)が、「探偵を使って『野獣先輩』を探し出す」番組をネットTV局経由で行うと発表しているツイートを見かけた。
問題のツイート

野獣先輩とは2000年ごろに発売されたゲイビデオに出演している男優の一人で、素人ものに何本か出演しているだけなので実際に名前を冠するポルノ俳優ではないのだが、ネット上では通称「野獣先輩」と呼ばれている。※詳しくは説明しきれない
ニコニコ動画や2ちゃんねるの文化に触れることがある人にとっては今更説明は不要かもしれないが、彼の出演ビデオの一部を切り張りしてアニメの映像などと合わせて面白おかしい動画を作ったりと、いわゆる「MAD動画」がニコニコ系のコミュニティ内で人気になっている。

※MAD動画とはアニメ映像の音声を差し替えたり、音声や動画を切り張りした映像作品。上は一例。

なぜ野獣先輩が人気になってしまったのか
ダンス動画を公開したり、ボーカロイドを使ったオリジナル楽曲を公開したりといった活動ももちろん人気だったのだが、元々ニコニコ動画ではこのMAD動画が盛んで、それぞれがお気に入りのアニメのMADを作って公開していた。
MADの素材はアニメやゲームだけでなく、CM音源や「なんでそんなものを使ってMADを作るんだ」という意外性やギャップでウケを狙う動画も多かった。
※例:アニメ映像と「カビキラー」のCM音声を合わせて作ったMAD

元々そういう土壌があった、というのが第一ポイント。
二つ目のポイントが、今から10年ほど前に人気だったMADの素材(MAD動画のネタにする題材)として、「ガチムチパンツレスリング」というものがあったことだと思う。
この「ガチムチパンツレスリング」は海外のゲイポルノビデオのワンシーンで、マッチョな外国人男性が下着姿でレスリングを披露するという映像だった。
元々の動画がシュールなうえ、この映像を使ったMAD作品が人気を博し、一時期はニコニコ動画内のランキングがこの「ガチムチ」を使った作品で溢れかえるほどにブームになった。
ここで、(海外作品とはいえ)ゲイのポルノビデオを「MAD動画」として公開するというパターンが出来上がってしまった。

余談だが、このガチムチパンツレスリングに出演している俳優たちは海外ではトップのポルノスターであり、ポルノ俳優を職業としている。
出演者の数人は日本で局地的なブームが起きていたことを知っており、そのうちの一人はニコニコ動画が主催するイベントにもゲスト出演するなど、比較的MAD動画に対して寛容な姿勢を見せていた。

※ニコニコ動画主催のイベントにゲスト出演した海外のゲイ・ポルノ俳優

ただ、これは彼らが「職業として」ゲイポルノ俳優をしているからこそ、ネット上のエンターテインメント(?)に協力的であったということが前提になるわけで、後述の野獣先輩問題とは状況が違うことを記しておく。

3つ目のポイントが、これはニコニコとは別の場所で起きた事件なのだが、現役の野球選手が過去にゲイ向けポルノビデオに出演していたことが発覚するスキャンダルが起こったこと。
現役のスポーツ選手がポルノ作品、しかもゲイ向けのものとなればマスコミもネット民も興味津々で、彼の出演したゲイ向けのAVが早々にニコニコ動画をはじめとするネット上の動画サイトにアップロードされてしまった。
MADを作ればウケる人たちがいるニコニコで、このビデオを題材に面白おかしいMADが作られて公開され始めるまで時間はかからなかった。

なぜ野獣先輩が見つかったのか
前述のとおり、最初に発掘されたビデオは現役野球選手が出演したものだけで、「野獣先輩」は出演していない。
最初こそ「現役の野球選手がゲイ向けAVに!?」といった驚きだけでネット上に広まった動画だが、時間が経つとだんだんとその内容について触れるものも増えてきた。
AVなんてどれもそんなものだと思うが、導入部のストーリーの滅茶苦茶さとか、明らかにおかしい人物設定や、(素人の男性を出演させているわけだから仕方ないが)俳優の演技力の低さなど、いろいろとツッコミどころの多い「ゲイビデオ」そのものに対して「おもしろい」と感じる人が増えてきた。
正直なところ自分もゲイビデオを見るときに、ストーリーものだとそのお粗末さに失笑してしまったりもするので、そういった部分を面白がる気持ちはわからないでもない。

こうなってくると「他のビデオも同じようにクオリティが低いのではないか」ということで、同じ会社からリリースされている同時期のAVが次々と発掘され、その中の一つに例の「野獣先輩」が出演していて発掘されてしまったというわけである。
なぜ野獣先輩がここまでのブームになってしまったのか説明しろと言われると困るが、要はハチャメチャな設定が多いゲイビデオの中でも特にツッコミどころが多いビデオだったから、とでも言えばいいだろうか。
おそらく形が違えば別の何かがブームになっていたかもしれないし、ただの偶然なのかもしれない。

そしてブームへ
こうして発掘された「野獣先輩」の出演したAVを使った使ったMAD動画がニコニコ動画にあふれ、Twitterなどでもこの「野獣先輩」を使った画像などが投稿されていたりと、ブームを引き起こしている。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)に基づくMAD動画?
MAD動画は「おもしろおかしく」作っているものなので、この現象は「同性愛」をネタに面白おかしい動画を作り上げてそれを見た人たちが笑っているという構図になる。
単純に「演技力の低い男優たち」を笑っているという構図というよりは、やはりゲイのポルノビデオをネタにしているというだけあって、「ゲイって気持ち悪いな」「ゲイは馬鹿にしてもよいものなんだな」という意識の下でこうした動画が公開され評価されているのだと思う。
アニメ作品なら馬鹿にするような描写をMAD内に取り入れたとしても「アニメキャラクター」が実在しているわけではないし、演じている声優やキャラを書いた人に向けて馬鹿にしているようなことをしているのではなければ、「アニメキャラに対して馬鹿にした描写を入れた」MADで傷つく人もそんなに多くない。
おバカキャラのアニメキャラが動画内でバカにされている様子もすべてフィクションの中の出来事で完結しているし、視聴者もそこのところも理解して楽しんでいるのだと思う。

ただ、こういった実写のもの、出演している人がいるものを使ったMAD動画はどうだろうか。
CM音源や映画やドラマなどの映像作品も、俳優個人への誹謗中傷が入っていなければまあ「フィクション」の範囲でおさまるのかな、といった感じであるが(それでもグレーゾーンだとは思うけれど)、今回のブームは同性愛コミュニティ全体を馬鹿にした動画だ。
しかもその中の一人、「野獣先輩」が特にネット民の間でたびたび取り上げられており、個人攻撃のようなものだ。

野獣先輩を探してはいけないのか
ネット上であまりにも有名になってしまったし、過去に海外のゲイポルノ俳優がニコニコ主催のイベントに出演したことから、なんとなく「OK」なんじゃないかという雰囲気になってしまっているのかもしれないが、まず彼も一人の人間である。
「素人ものに出演していた○○というAV女優さんを探偵を使って探し出したいと思います」という企画と全く同じことをしているのだ。
彼だって過去に数回、若気の至りでゲイ向けのポルノ作品に出演してしまったかもしれないが、今は家庭を持った普通の会社員かもしれない。
著名人としての自覚を持っている先の海外ポルノ俳優とは違うのだ。
ゲイビデオに出演した過去を必死に隠して普通の生活を送っているかもしれないノンケ(異性愛者)の男性であるかもしれないし、同性愛者だったとしてもこんな風に特定されてしまったらアウティング以外の何物でもない。

(参考)

アウティングの何が悪いのか、という意見もあると思うが、同性愛者への偏見や差別がまだまだ強く残る日本で、勝手に自分の性指向をバラされてしまったら、偏見で会社追われるかもしれないし、家族から縁を切られるかもしれない。
まだ状況によっては自分の性指向を隠しながら生きていた方が生きやすいし、わざわざ自分から茨の道を突き進むような人はいない。
同性愛への偏見をなくすために活動している人がどうしても前面に出てくるので勘違いされやすいが、そんな自分が同性愛者だとバレたことによって起こる無用なトラブルとは無縁に「普通に生活したい」と思っている人がほとんどである。
普通に学校に通って、普通に仕事して、普通に友達と遊んで、普通に生きて、普通に死にたいのだ。

このブログを読んでいる人なら理解してくれていると思うが、別にゲイはなりたくてなったわけでも、選びたくて選んだ生き方でもない。
あなたが普通に異性が好きなように、自分たちも生まれたときからそうだったというだけだ。
生まれつき左利きだったとか、目の色が少し明るかったとか、髪がくせ毛だったとか、そういったレベルの話なのだ。
そんな自分の力ではどうしようもないようなことを、変だとか気持ち悪いとか世間では評価していて、しかもそれを別段咎めるような法律もモラルもないという状況なのだ。
そんな状況ではとりあえず隠して生きていた方が世間の言う「ふつう」に迎合できるので、勝手に性指向をバラすようなアウティングは「善」でもないし、エンターテインメントとして扱うにはあまりにも残酷すぎる。

この「野獣先輩探し」の放送はまだ先のことのようだが、何かしらの対策が取られることを祈る。

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by innocentl | 2016-08-11 18:46 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

ウリと貧困(乱文)

男がゲイの男性相手に身体を売る風俗は「ウリ専」という。

男性差別的でおかしいなとは常々思うのだが、男同士の性行は法律的に引っかかることはないため、基本的にどの店でも本番、いわゆるアナルセックスまで行うことができる。

法的な規制がないために、ピンサロやソープ、デリヘルなどの法律の穴抜け的な多種多様な業務形態があるわけでもない。

唯一違いを上げるとすれば「アロママッサージ」を謡い、オイルマッサージを客に施した後に手で射精させるタイプの、いわゆる「ヌキありマッサージ」が異質であるか、といった具合だ。

もちろんオイルマッサージをした後に本番をすることができる店もあるので、なぜゲイの風俗業界でマッサージ系の店だけその他のウリ専と区別されているのかはよくわからない。

業界最大手のウリ専は学校の教室やソープランドを模したプレイルームがあり、イメクラのような側面もある。

こうした個室(やイメージプレイができるプレイルーム)を用意できる資本力のあるウリ専以外の、その他有象無象のウリ専はたいていマンションの一室で行為を行ったり、ホテルや自宅にボーイを派遣するようなデリヘルタイプが多い。

利用料金は業界最大手のウリ専で7014000円がスタンダードコースだ。

つまりボーイの手取りは一回のプレイで6000円~8000円であるのではないだろうか。

風俗で働く女性の手取りに比べると幾分少ないような気もするが、業界ではこれが適正価格のようだ。


先日、ウリ専で働くという男と話す機会があった。

彼は小学生に入る前に両親が離婚し、施設に預けられた。

そのまま施設で育ち、18歳になって高校を卒業すると同時に施設も「卒業」したという。

親も保証人もいない状況でいきなり社会に放り出されるというのも残酷だが、こうした人種に日本の社会・企業は厳しく、正規雇用はされなかったという。

もちろんそれだけが就職活動がうまくいかなかった原因とは限らないし、保証人代行会社を利用するとか、福祉施設に訴えかけるとか、もっと別の方法を取るべきだったのかもしれない。自業自得だ、という意見もあるだろう。

しかし施設では食事も勉強に必要なものも用意されているし、ゲームやおもちゃのような嗜好品を除けばすべて職員が用意してくれていたという。

施設を出るまではまともに一人で買い物もしたことがなく、「シャンプーや洗剤がこんなに高いものだとは思わなかった」と話していた。

彼はもともと自助能力の低いわけではなかったと思うが、施設暮らしで幾分浮世離れしてしまい、結果として自助能力が低いまま社会に放り出されてしまった。

施設を出てからしばらくは友人の家に転がり込んでアルバイトをしていたそうだが、そのうちにウリ専で働くようになったという。

現在はウリ専の寮(といっても、店の事務所の角にある二段ベッド)で生活しているという。

また、別のウリ専で働く男は母子家庭で、母親が精神疾患を患っており、彼がウリ専で稼いだ金はほとんど生活費に消えるという。

モラルハラスメント、金銭的な搾取だと思ったが、彼自身は「俺がなんとかしないとお母さんがかわいそうだから」とあくまで家族をかばった。


ノンケの性風俗に「デッドボール」という風俗店がある。

「ブス、デブ、ババア上等」とし、他店での採用を断られるような容姿や年齢に問題がある女性でも採用をし、表向きには「風俗嬢のレベルは日本ワースト1、怖いもの見たさで利用しろ」といったような、ある種「見世物小屋」的な売り出し方をしている店だ。

こうした見世物小屋的な売り出し方が話題になりメディアなどでも取り上げられているが、あくまでそれは客を釣るためのエサで、実際は「見た目に難のある地雷女性」を怖いもの見たさで指名する人よりは、そこそこの見た目の女性がよく稼働するごくありふれたデリヘルであるそうだ。

そのデッドボールでは、従業員が役所や福祉関係の手続きを手伝ったり、アドバイスを行ったり、風俗産業界で働かざるを得なくなってしまった女性のサポートを行っているという。

何度かソーシャルワーカーや弁護士などを待合室に呼び、借金などに悩む風俗嬢の法律相談などを行ったこともあるという。

一般的にLGBTの人は高所得だというイメージがあるかもしれないが、米国ではホームレスの15%(正確な数字は忘れたので曖昧だが)がLGBTであるという。

マイノリティ故にコミュニティを排除され、行き場を失ってしまう貧困層も確実に存在する。

日本で言えば性風俗で働くうえにセクシャルマイノリティという、二重でマイノリティであるがゆえに可視化されないLGBTの貧困が確実に存在する。

そうした人たちがせめて身体を売るという、病気などのリスクのない仕事に就き、精神を病むことなく働ける社会が必要なのではないだろうか。

そうして今、ノンケ業界の風俗で働く女性たちがそうであるように、「風俗」という現場に「福祉」が手を差し伸べつつあることを模倣するなり、LGBTの貧困も可視化させ、対策を取っていくべきなのではないか。


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by innocentl | 2016-05-18 18:49 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

トラブル

仕事でちょっとしたトラブルがあった。
自分は実際現場にいたわけではないので人づてに聞いた話になってしまうが、要はインタビュー記事の取材でインタビュイーが不機嫌になりまともな取材ができなかったというケースだ。

実際に現場にいた人の分析によると、インタビュイーが我々の媒体の規模などを正確に把握していなかったためにギャップがあったそうで、それが今回のトラブルの原因かもしれないということであった。
確かに第一印象でつまづいてしまったら、基本的に一期一会であるインタビューがうまくいく可能性は低くなってしまうのだろう。
ただ、こちらとしては媒体のURLも明かしたうえでサンプル記事を提示し、「こんな感じのイメージですよ」という話はオファーの段階でしている。
なので「しっかりと確認しないまま仕事を受けた先方が悪い」「先方がただ気難しい人だっただけ」という話で終わらせることもできるのだが、そういう考えを少しだけ外して自分なりに分析をしてみたい。

まず今回のインタビュー記事はサンプルこそあるものの、実際に記事として対外的には発表しておらず、まだ内々の企画であった。
そのために「掲載されるときにはこうなる」という十分な判断材料を提示できないままインタビューのオファーをしてしまったことになる。
実際に連載されている文章を確認できず、内々の企画であるということで「(よく知らないメディアの)実験的な試みの記事の踏み台にされている」と先方が感じてしまう可能性も考慮すべきだったのかもしれない。

そして二つ目に、先方がそこそこ名の知れた人だったことがもう一つの原因になる。
今現在自分が記事を書く際などは、まずイベントやパーティ会場などで「今後取材する可能性がありそうな人、店」に名刺を渡し、自分がどんな媒体でどんな記事を書いているかを説明しつつ挨拶を済ませる。
そのうえで「今後取材させていただくこともあると思うのでよろしく」といった話をする。
実際、記事化できそうな出来事が彼らに合った場合はすかさず連絡を取り、記事化する。

挨拶が既に済んでいる場合ならいいが、いきなりアポを取って取材をしなければならない時も「初めまして」から始まり、「あなたのしていることは素晴らしいので、よりたくさんの方に知ってもらえるためのお手伝いをさせてください」というスタンスで取材のアポを取り付ける。
つまり、最初に軽い取材(なるべく広く告知することによって取材対象がいい気分になってもらえるような話題)をして記事執筆をし、関係性を構築する。
嫌な言い方だが要は「恩を売る」わけで、「なんだ、意外と面倒くさくないぞ」「記事が出てから新しい客が増えたぞ」など、媒体に対する不信感などを一番最初に取っ払ってもらう。
(全国的には)無名な人を、ちょっとした有名人に仕立て上げるフェーズがある。
ここの「恩を売る」段階を踏んでいれば、今まで知り合ってきた人たちは快くインタビュー記事の話も承諾してくれていたと思う。

ところが今回のインタビュイーは既に地位を確立している有名人で、自分たちの今までに広げている人脈網からは全く別の文脈に存在する人物だった。
客観的に言えば「名の知れていないメディアが、唐突に有名人にインタビュー記事のオファーをした」ということになる。
となると地道にこつこつ信頼関係を築いてきた今の自分たちが持つ取材対象者たちとは違い、「なんかよくわかんない媒体が売名行為に自分を利用しようとしているんじゃないか」と不審に思われる可能性は十分にあったと思う。
となると最初の時点でインタビュイーが想定していた媒体と我々のそれは違うとなると、一気に不信感を煽ることになってしまう。
結果として心を開いてくれないまま、インタビューがうまくいかなかったことになる。

対策として、何をするべきだったのか。
結果論になってしまうが、まずは自分たちの持つ人脈網の中からインタビュー記事を執筆して実績を作るべきだった。
「これと同じものをあなたにもやってもらいたいです」とはっきり提示できれば、気に入られなかったとしてもオファーの段階で断ってもらえた。

そして記事化を急がずにまずは信頼関係を築くべきだった。
今回のインタビュイーのインタビュー記事を出したい、と決定した時点で、まずは軽いジャブを打つべきだった。
彼が行うイベントなり事業なり、自分たちの媒体で紹介できるものがあればまずそれを取り上げて、記事化の実績を作り我々の媒体への抵抗感を無くし、コンテンツを知ってもらうべきだった。

しかし、自分は保守的すぎる。
手堅いと言えば聞こえはいいがスピード感は劣るため、手早く結果を求められる場合においては自分のやり方はかなりもどかしいと思う。
今回のインタビューも現に成功していればメディアにとって爆発的な原動力になったと思うし、最初に大きく成功すればその後は滑るようにガンガン記事出しができるだけの企画になっていたと思う。
時にはリスクを取ってでも行動をした方が良い結果に結びつくことがある。

どのやり方が正しいなんて存在しない。
今回はタイミングが悪かっただけかもしれないし、先方が何をしても響かない偏屈な人だっただけかもしれない。
別のやり方をしていれば成功していたのかもしれないという保証はないので、全て結果論だ。
見極めるのは難しいし、人と人とのことなので一生「見極め」なんてできないのかもしれない。
ただ、もっともらしく反省や分析をするとしたら上記のような内容になるかな、といっただけの話である。

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by innocentl | 2016-03-27 00:12 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

リアリティがない

生きていることにリアリティがない。

いつもより長く商店街を歩き、普段歩かない場所に比較的大きなスーパーを見つけた。
普段行くスーパーよりも野菜が安く、バラ売りもしていた。
いい場所を見つけたぞと思いながら夕食のメニューをその場でぼやぼやと考えながら、一本10円の人参や一個15円のじゃがいもなどをかごに投げ入れていった。
家にコンソメがあったからコンソメスープにしようか、ホールトマトと鶏肉を買ってトマト煮込みにしようか、カレールーを買ってカレーを作ろうか。
平日の15時前だというのにけっこうな盛況で、レジ前にはそこそこの列ができていた。

結局豚肉二パックとカレールーを追加で買い、今夜はカレーにすることにした。
食費を入れる使い古しの財布から小銭を取り出し、改めてレジに表示された値段を見て品物の安さを再確認し、こんなことならもっと早くここを見つけていればよかったと少しだけ後悔した。

買い物袋をぶら下げて、商店街を家とは反対方向に歩き出した。
商店街を抜け5分ほど歩き続けると、傾き始めた日差しが眩しい荒川土手沿いに出る。
太陽を背にして長い影と一緒にとぼとぼ東へ歩き続け、横目で練習中の運動部や散歩中の母子などを見ていた。

今の僕には生きる目的がない。
明日生きられる分だけの日銭を稼いで、彼氏の帰りを夕飯を作りながら待つ生活。
これでいいのだろうか。

自分自身をコントローラーか何かで操作しているようだ。
腹が減った、眠りたいなどの本能に従って、命をつなぐだけの生活をしているようだ。
全てにおいてリアリティを感じられない。
怪我をしても、風邪をひいても、なんだか映画の中の登場人物が苦しんでいる姿を第三者的な目線から眺めているように感じられる。

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by innocentl | 2016-02-04 20:33 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

作家じゃない

ライターは作家じゃない。
書いているものは作品ではない。
作家は作品を作り上げていく存在なので言わばアーティストのようなものだが、ライターは強いて言うなら料理人のようなものだと思う。
記事には旬や賞味期限があり、美味しく読んでもらえるのはWebでせいぜい2週間、雑誌で1ヶ月程度だと思う。
その期間を過ぎれば旬を失い記事としての価値はなくなる。

ライターは文章が上手い必要はないという記事を読んだことがあるが、全くその通りだと思う。
ある程度要点を押さえていれば文章が上手くなくても問題ない。
むしろ自分を作家や文豪だと思い込んで、作品を仕上げているかのごとく手の込んだ(込みすぎた)記事を書き上げて締切ギリギリになってしまうことの方が問題だ。
ライターのみで文章が完成するのなら編集部も校正部もいらない。
編集や校正が手直ししてライターの文章は初めて完成し、世に出回る。
自分を過信しすぎて、アーティストの如く文章を書き上げていては意味がない。
ライターは旬のものは旬のうちに、温かいものは温かいうちに出さなければいけない。

8割のものをバンバン書いて、最終的な体裁は編集に任せて、過去の記事に執着せずに切り捨てていかなければならない。
とはいうものの自分も過去記事のPVがどれほどあるかや、バズったかどうかを気にしてしまうので、自戒の意も込めてこの記事を残す。

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by innocentl | 2016-01-25 22:22 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)

男性差別

自分は割と男性差別的なものに厳しい方だと思う。
僕のような人間は女性を下心、要は性欲のバイアスをかけて見ることがないから、女性が不当に優遇されていたり男性が虐げられていたりする場面が許せないのだろう。

女性専用車両も「男はみんな痴漢だ」というような押しつけのようなものを感じて気分が悪いし、飲食店や映画館のレディースデーも最悪だ。
男だって安く食事をしたいし映画を見たいのに、なぜ性別が女性だからというだけで経済的に優遇される必要があるのだろうか。
「女性はグループで訪れるから……」「女性のクチコミによる経済的な効果が……」といったようなテンプレートのような文句も聞き飽きた。
一人で食事したり映画を見たりする女性も多いだろうし、男だって「あそこはメンズデーやってるらしいよ」と噂になればその店に行ったりするものだ。
そもそもこのネット社会で今更「クチコミ」の市民権は女性にだけにしかないわけがないだろう。
男だってひとたびネットで発言すれば何千何万のフォロワーに情報伝達ができるのだ。

職場での力仕事を男だけに任せるような女性にも腹が立つ。
なぜ同じ給料を貰っているくせに「力仕事」「汚れ仕事」を女性だからというだけの理由で断ることができるのだろうか。
力仕事をすることでプラスのボーナスが貰えるということであれば納得もできるが、給料が一緒なのになぜ男だけ「力仕事」をせねばならないのか。
「女性はか弱いから」ということであれば、それによって逆に「女は何もできない」と、女性を差別することになっているだろう。
女性も男性と同じ仕事をして、同じ給料を貰うように法整備や社会意識の醸成がされてきたのに、こういった部分で男性差別、ひいては女性に対する逆差別を蒸し返していることにはならないだろうか。

職場で女性は私服でいいというのもわけがわからない。
男は真夏もスーツを着て、自宅で洗えないスーツを高いクリーニング代を出して洗濯しているのに、女性はひらひらのワンピース一枚で涼しげに仕事をしている。
おかしいだろう。

テレビのCMではたいてい「女は賢く清潔で、男は馬鹿で不潔」といったイメージで描かれている。
家庭用品の購買層は主婦層が多いからマスコミも消費者に媚びているのだろうが、見てていい気持ちはしない。

こうしたことを少しでも思ったり口に出したりすると「男のくせに器が小さい」だの「男の器量が」だの言われることになる。
こう、日本の古くからの「女性を守るべき、女性のワガママは聞き入れるべき」のような考えが、余計に男性の権利を失わせているのではないだろうか。
「女性は弱いから優遇してあげるべき、男性は何をされても反抗してはいけない」というようなある意味男の美学・プライド染みたものに女性がつけ込んでいるのだろう。
本来、男の美学は男が持っているもので、女性がそれにつけ込んで利用して良いものではないと思う。
しかも、その美学とは性欲がベースになって作り上げられたものだ。
要は女性を甘やかして、あわよくばセックスしたいという感情のためだけに存在しているものなのに、「男の器量」などともっともらしい言葉で正当化しているだけだ。

ゲイである僕は女性をある意味フラットに見ている。
だからこそ、女性性を盾にして「社会的弱者」を演出したり、男を馬鹿にしたり、不当な権利を主張している女性には腹を立てるのだ。

同じ人間だろう。
「女性だから」で甘える時代はもう終わったのではないか。
男も女も同じ仕事をして、同じ社会で、同じように生きていくべきではないか。

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by innocentl | 2015-11-06 14:59 | 真面目な話 | Trackback | Comments(4)

ゲイは才能がある

栗原類が発達障害をカミングアウトした。
彼は「世間では『発達障害は天才だ』という風潮があるので、なかなか自分がそうだと言い出せない」と話していた。

これはLGBTでも同じことだなと感じた。
昨年、テレビを見ていたら、バラエティ番組でLGBTの特集をしていた。
オネエタレントを使わずに「普通の」LGBTの紹介をしていた点は好感が持てたが、その番組では「LGBTは才能の宝庫。LGBTはセンスがいい人が多い、才能がある」といった語り口が使われていた。

海外のドラマや映画に出てくるゲイの男の人はたいていファッションセンスが良く、話が上手で、何かしらクリエイティブな職に就いていることが多い。
きっとこのイメージで語っているのだろう。
SATCやプラダを着た悪魔に出てくるゲイはみんな、こういったファッショナブルなイメージで描かれている。
テレビに出ているオネエタレントもそう思わせる一因だろう。
だが、オネエである以前に彼らは「テレビに出ている人」なのだ。
ノンケでもテレビに出ている人は才能なり見た目なり、何かしら平均以上の人がほとんどではないか。
その辺にいる、話もできない平均的な見た目の女の子が、アイドルとしてテレビに出られるだろうか。

しかし、「LGBTはみんなセンスが良くて、何かしらの才能がある!」と紹介してしまうのはあまりに酷くはないだろうか。
この風潮が蔓延したら、世の中にいる「あらゆる才能が平均以下のLGBT」はさらに生きづらくなるだろう。
「LGBTは優れている」という世間のイメージがあるのに、自分はなんて平凡なのだろう、と自責してしまうのではないだろうか。

僕は平均的な成人男性だと思う。
部活、勉強もそこそこに頑張って中高時代を過ごし、そこそこの大学に行って言語学と英語とフランス語を学び、そこそこの企業に就職し、物書きの仕事に転職をした。
ファッションセンスもすごく良いというわけではないと思う。
奇抜な格好をしているわけでもないし、ジョーカーやその手の雑誌に載っている読モレベルのコンサバな格好をしていると思う。

周りの友人を見ても、そこまで非凡な人というのは多くない気がする。
フリーター、水商売、一企業の総務部、エディトリアルデザイナー、営業事務、土木建築作業員、競り師、弁護士事務所、行政書士、公務員、シェフ、ライター、営業マン、介護士、看護師、ファッションデザイナー、美容師、フライトアテンダント、花屋、リテール企業社員、溶接工、パン屋、ホテルマン…。
思いつく限り友人たちの社会的立場を書いてみたが、みんな「普通に」就職して働いている人たちだ。
映画のように華やかな環境の中に身を置いて立ち振る舞っているような人は少なく、みんなそこそこの給料で毎日汗水流して働いている。

服装も正直な話、人それぞれだと思う。
ハイブランドの服を派手に着こなす人もいれば、流行とファストファッションを上手く取り入れて抜け感ある恰好をしている人もいるし、僕のように若干グランジな雰囲気のラフな格好をする人もいる。
中学生の頃からファッションの感覚が変わってなくて、野暮ったい格好をしている人も、もちろんたくさんいる。
ノンケの世界と同じだと思う。

たぶん、本当に「隣の部署のあまり話したことのない男の人」レベルの感覚で、周りにゲイはいるのではないだろうか。
あからさまに見てわかるゲイというのは社会の中にはそんなにいないと思う。
みんな、社会人として社会に溶け込んで働いているのだ。

ゲイがみんな華やかで、才能があって、クリエイティブな職に就いているわけではない。
LGBTなんて特別な事でもなんでもなく、LGBTである以前に人であるのだから、ノンケと何も変わらないと思う。
男が好きか女が好きかだけで、LGBTであるからといって才能があるわけでもないと思う。
ノンケが突然、「○○君、女性が好きだから、絶対ファッションセンスいいでしょう」「○○ちゃんって男が好きなんだ。じゃあ絵とか音楽とか得意なの?」と言われたところで困惑するだろう。

ゲイやレズビアンがみんなレディーガガになれるわけではない。
ゲイだってビアンだって「そこらへんにいる人」が、ほとんどなのだ。

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by innocentl | 2015-09-11 12:54 | 真面目な話 | Trackback | Comments(0)