カテゴリ:日常( 967 )

休日の過ごし方

Instagramを見ていると、みんな休日は気の合う仲間と遊びに出かけたり、飲みに出かけたりと楽しそう。
自分だってそうだがSNSなんていいところだけしか見せていないなんて百も承知だけれども、やっぱりこう情報量が多いと「何もしないまま休日が終わりそうだな」と感じながら重い腰を上げてせめてもの罪滅ぼし的にジムだけ行く、みたいな休日を過ごしているのは自分だけなんじゃないだろうかという錯覚に陥ってしまう。

みんな一人で過ごす休日だってそれ相応にあるだろうに、SNS上だけの情報を見せつけられてなぜか焦燥感に駆られて一人でクラブやらフェスやらに出かけてみるものの、その場で感じられる高揚感なんてすぐに消えてしまって、まるでドラッグに溺れているようだ。
考えれば考えるほど、ドラッグ中毒的に孤独感を癒している。
クラブだって長居すればそれだけ酒を飲むから金だって出て行くし、かといって耐性ができてもう1杯だけでは通用しない身体になっている。
ありもしない「充実しているみんな」の影に怯えて一人で爆音の鳴るフロアで踊って、もう二度と会わないであろうその場で声をかけてくる人たちとの中身のない会話を消費して、お金も無くなって。
馬鹿らしいな、と自分でも思う。

正直、ジムに行って、商店街や古着屋をぶらぶら歩きながら夕方まで過ごして、夕飯の買い物をして彼氏に夕飯を作って……といった休日を過ごす方が精神的な充足感は大きい。
わかっているのに、何に怯えているのかがわからない。
今の生活もいつかなくなってしまうと心のどこかで思っているから、完全に体を委ねられないのかもしれない。
どこかで「孤独なまま」の自分を望んでいるのかもしれない。

[PR]
by innocentl | 2017-07-31 12:26 | 日常 | Trackback | Comments(0)

uhai

あてもなく一人で街を歩くことが多い。
「何か面白いことがあればいいな」と思いながら歩いているのだが、特別積極的に面白いことに身を投じようとしているわけではなく受け身な姿勢でいるので、結局のところ何も見つけられないまま終わることがほとんどだ。

先日も無性に寂しくなって一人で神保町から御徒町付近までぶらぶらとあてもなく彷徨った。
そんなときに、小さな公園で家族連れが花火で遊んでいる姿が目に入り、さらに心を抉られるような気持ちになってしまった。
自分には手に入らないものに対する羨望なのかもしれないが、もう少し異なっていて自身に対する諦めのような気持ちの方が多少強かったかもしれない。
自分はこのまま「何かないだろうか」と求め続けて、彷徨い続けて、結局何も手に入らないまま時間だけを浪費する生き方しかできないのだろうか。

クラブで踊って過ごそうが、面白いことを求めて人混みの中を歩こうが、結局孤独であることに変わりはない。
一人でいろんな場所に顔を出したり、いろいろなことに取り組むのが嫌いではないのだが、それは決して孤独に強いというわけではなく「どこかに自分の居場所があるのかもしれない」と、孤独という渇きを潤したいがために起こしている行動なのだと思う。

Kila chenye uhai na kufa lazima. Kipya huchakaa na kikubwa chochote hutoweka.

[PR]
by innocentl | 2017-07-20 13:00 | 日常 | Trackback | Comments(0)

次に心折れたときには自死を

次に心折れたときは、きっと自死を選ぶと思う。

会社を辞めたり家族を捨てたり、いろいろと感情の振れ幅の大きな出来事が立て続けに起こって、その都度自分を鼓舞して生き長らえてきたけれど次の波が来たときに乗り越えられるような気はしない。
以前、浮草のような人生だと書いたこともあったけれど、これから生活が良くなるとか希望の持てる出来事が起こるとか、そうしたことにあまり期待を持てず、かといって現状を改善するために社会的な運動に参加するだの何か団体を立ち上げるだのといった気力もなく。
無気力とはまた違うのだと思うけれど、ある意味社会へのアンチテーゼ的に死を選んでやろうというサディスティックな気持ちもあるのかもしれない。
まぁ、自分一人が死んだところで周りに与える影響なんて太平洋にスポイト1滴のインクを垂らすようなものなのかもしれないが。

逆に「誰も気にかけないだろうし、いつでも死ねる」という気持ちが皮肉にも生きる気力に繋がっている部分もあるし、特別心折れなければなんとなくだらだらと生き長らえていくような気もするが、先のことはわからない。

[PR]
by innocentl | 2017-07-19 12:20 | 日常 | Trackback | Comments(0)

性欲とセックス

ポルノは好きだがセックスは苦手だ。
性欲は人並みにあるほうだし、性的なコンテンツへの興味に至っては人以上にあるかもしれない。
アダルトビデオメーカーの新作情報や男性モデルの写真など、毎日増えてゆくブックマークを見て自分で自分に引くこともある。

ただ実際にセックスをするとなると話が別だ。
もともとアナルセックスが得意ではないということもあり、なんとなくセックスに対して面倒なものという感覚がぬぐえず、気が付けば25歳も半ばを迎えてしまっている。
いわゆるヤリマンの知人などはみな積極的に、主体的にセックスを楽しんでおり、セックスに価値を見出しているように見える。
身体と感情をうまく操縦しているように見えて羨ましい。
セックスの何が苦手というと、不安なのだと思う。
相手を満足させられるだろうかという過度なプレッシャーが大きく、その不安ゆえに集中できないことが少なくはない。

セックスの手前までは好きだ。
食事なりナンパなり色々手段はあるけれども、自分にとっては「自分とセックスをしてもいいとこの人は思ってくれたんだ」と実感するところがピークで、それ以降のセックスに向かう段取りは全て気持ちが盛り下がる要素であり、行為を終えたときに感情の振れ幅が底に付く。
普通(この言葉は本来使いたくないが)だったらセックスの最中がピークで、行為を終えたばかりでもそこそこの「楽しさ」や「幸福感」のようなものは抱えているのだろう。

性欲もなければセックスにも興味がないということであれば別に「ああそうですか」で済む話であるし、その分なにか別の活動なりに取り組んでいくこともできるけれど、なまじ性的なコンテンツへの興味は人一倍、でもセックスはちょっと……という性格であるゆえに生じる歪みみたいなものが自分でももどかしい。

[PR]
by innocentl | 2017-07-06 13:07 | 日常 | Trackback | Comments(0)

九州へ行った話

仕事の出張で九州の鹿児島まで行った。
1泊くらいさせてもらえるのかなと思いきや、朝の便で羽田を出て、最終の便で帰ってくるという弾丸出張だった。

朝の東京は19℃ほどしかなく肌寒かったのでレザーを羽織って行ったが、鹿児島は28℃を超えていたので空港を出た瞬間に汗ばんでしまった。
空港で観たニュースでは、奄美大島が梅雨入りしたと報じていた。

空港からクライアントに会う繁華街までバスで移動したのだが、空港ではまだそこそこ周りに馴染めていたレザージャケット姿も、街に出てしまうと完全に浮いていた。
鹿児島の人たちは皆、真夏さながらの薄着姿で街を歩いていた。
もっと薄着で来ればよかったかもしれないと思いつつも、最終の便で東京に戻るころには深夜だし肌寒いだろうなとも同時に思った。
それにしても想像していた以上に南国感があって、カルチャーショックのようなものを受けた。
沖縄ならそりゃあ暑いだろうし南国っぽさもあるだろう。鹿児島は九州だし、そこまで東京と変わりはないんじゃないかと思っていたのだが、間違いだった。

クライアントと会うまでに1時間半ほど時間があったので、鹿児島で一番の繁華街だという街を散策してみた。
巨大なアーケードに覆われた商店街は活気に満ちていたが、日曜日の昼間にしては人気が少ないようにも見えた。
車社会だからあまり駅周辺に人がたまらないのか、それとも地方の繁華街とはそもそもこういうものなのか考えを巡らしながら喫茶店に入った。
思えば高知県に旅行に行った時も、繁華街といえどもこうしたのんびりとした空間が広がっていたような気がする。
東京が殺伐としていて異常なだけなのだろうな、と無理やり自分自身を納得させた。

仕事を済ませたあとは、学生時代からの知人に会った。
お互いまだ学生だったころ、彼は鹿児島から数人で東京に遊びに来ていたのだが、SNSの繋がりはあったので何かの拍子で一緒にクラブに出かけることになって朝まで過ごした。
初めましての状態から新木場のクラブイベントで朝まで遊ぶという、学生ならではの無茶な遊びをした。
彼はあれ以来東京に来ていないし、自分も鹿児島に行く機会がなかった。

久々に会った彼は学生のころと何ら変わらず出迎えてくれた。
最終の便で帰るため、空港行のバスに乗り遅れないようにしたいということを伝えると、空港まで送ると申し出てくれた。
1時間程度夕飯を一緒に食べられればいいかなと思っていたが、空港まで送ってくれるのであれば4時間弱は空き時間ができる。
彼の申し出を受け入れ、桜島の観光に出かけた。

その日も小規模な噴火があったようだが鹿児島の人にとっては日常のようで、誰一人として上がる噴煙を気にしている様子はなかった。
友人も「あれはゲップみたいなもんだよ」と笑っていた。
街の人たちは標準語に近い言葉で話していたので、喫茶店に入ったときや仕事で入った店の人たちの言葉が気になることはなかったのだが、彼の言葉のイントネーションが標準語のそれとだいぶ異なっていることにこのとき気づいた。
国の言葉があるというのはいいなと感じたが、自分だってきっと武蔵の訛りはあるだろうし、いわゆる標準語とは違う「東京方言」を使っているのだろうけれど、東京にいるとそれすら自覚できないよな、と思った。

観光が済むと、黒豚のトンカツを食べに行った。
これがまた絶品で、自分が東京で食べていたトンカツなんて段ボールみたいなものだったんだと思えるくらいの衝撃だった。
東京のトンカツと言ってもチェーン店のものや弁当に入っているものなので、一流の店で食べればまた違ったのかもしれないけれど、鹿児島の黒豚は格が違うと思う。
塩だけで十分美味しいし、肉汁が多いのに脂っこくないのが凄いと思った。

夕食を食べ終わってから空港まで向かったが、19時近いというのにまだ外が明るいのが印象的だった。
空港でまた少し時間をつぶし、今度はプライベートで遊びに来ると彼に告げて別れた。
温泉も豊富らしいし、次は絶対に入りたい。

日本で行ったことのない場所はまだまだたくさんあるどころか、ほとんどの場所に行ったことがない。
東京ですら降りたことのない駅が大半を占めている。
全世界を回りたいとは言わないが、せめて日本のすべての県には一度は訪れたいなと思った。

[PR]
by innocentl | 2017-05-24 14:20 | 日常 | Trackback | Comments(1)

「気を遣え」という脅迫

先日、人と話しているときに地雷を踏んだ。
要はその人が恋人と別れていることに気づかずにその手の話題を振ってしまったのだ。

その人だけでなく一緒にいた別の友人からも「空気を読め」「あなたは無神経だ」と批判を浴びたのだが、年に数回10人くらいの飲み会で顔を合わせるくらいで個人的に連絡を取っていない人の恋愛事情なんて普通把握しているものだろうか。

よほど距離の近い友人なら風の噂で交際している人のことなども耳に入るかもしれないし、仮に別れたことを知っていたら自分だってあえてその話題に触れないだけの分別はあるし、よほど親しければもっと踏み込んだ話もしただろう。
そもそもその人が破局したという前提知識もない状態で空気もへったくれもないだろう、と思う。

自分の恋愛関係を常に他人が把握していると思って「気を遣ってくださいよ」とアピールするなんておこがましいと憤っている。
こちらの事情には知らず存ぜずだけれども、私の地雷は踏まないでくださいよだなんてよくもまあ言えたものだと思う。

人と別れるというのは心を痛める出来事であるし、触れられたくない気持ちはよくわかる。
でも、だとしたらSNS上で恋人の存在をひけらかすリスクというものを考えろと言いたい。
SNSで常に「今日は一緒に出かけました」「大好きです」「記念日を祝ってもらいました」と仲睦まじいアピールをしていたのだから、てっきり仲良く今も過ごしているものだと思ってこちらだって話題を振ったのだ。
恋人と自分の関係性を公開するということは、「自分たちが別れたという事実を知っている人」がSNSのフォロワーの数だけいるということなのだ。
その分前の恋人との関係性に触れられることも増えるだろうし、時には相手に悪意がなくとも無神経な質問を受けることもあるだろう。

けれどそれは全て自分が蒔いた種なのだ。
何かをアピールするということは、それだけ人から注目されて知られたくない事実や触れられたくない事実を知る人が増えるということだ。
リスクヘッジを怠ったのは自分であるのに、よくもまあ他罰的な態度でいられるものだ。触れられたくないのなら最初から恋人とのやり取りや行動をSNSに投稿などせずに、真摯に相手と向き合ってひっそりと愛を育めばよかったじゃないか。

もちろん自分にだって非はあるだろうが、自分だけが「無神経」だと批判をされて非常に腹を立てている。
「あなたのことは知りません。でも私を不愉快にさせないでくださいね」だなんて何様のつもりなのだ。
言ってしまえばそういった近しくない友人たちの中には、自分が3年付き合っている恋人がいて同棲している事実を知らない人すらいるだろうし、仮に自分が彼と何かあったとして一体どれだけの人が「空気を読んで、無神経でない態度」を取ってくれるだろうか。
おそらく2、3人そういう人がいればいい方だと思うし、大多数は無関心で、中には興味本位でいろいろとほじくり返してくる人もいるだろうということは想定して生きている。
それはリスクを承知で生きているからだ。

人は人にそこまで興味がない生き物だと思う。
だからこそ要望は声や態度にに出さなければ人に伝わらないと思うし、そこを「察して」という言葉で済ませるのは子どものすることだ。
気を遣ってもらえるようになりたかったらまず我がふりを直せ、と声を大にして言いたい。

指摘された直後は素直に「自分ってば最低なことをしてしまったのでは」と思っていたものの、よくよく考えれば無理難題を押し付けられて勝手に悪人に仕立て上げられただけじゃないか。
最高に気分が悪い。

[PR]
by innocentl | 2017-05-12 19:01 | 日常 | Trackback | Comments(0)

LA LA LAND

※ネタバレあり

「ララランド」を観てきた。
さすがアカデミー賞総なめとだけあって、最高の映画だった。

個人的にはハッピーエンドだと思っていたけれど、観る人によって感想が全然違うのが面白い。
主人公の男女2人はお互い夢を追うために別れを選び、数年後に再会するという流れなのだけれども、この解釈が人によって分かれているようだ。

「好きなジャズだけを演奏する自分の店を持ちたい」セブと、「女優になりたい」ミアが偶然出会って恋に落ちる。
2人は互いを刺激し合って、セブはバンドのツアーで稼ぐようになり、ミアもオーディションを通過するなど夢に近づいていく。
セブは数年にわたるツアーに出かけねばならず、ミアも通過したオーディションの撮影をパリで行う関係上、2人の仲はこじれていき別れを選択する。
数年後、女優として成功したミアは別の男性と結婚し子どもも授かる。
偶然夫と立ち寄ったジャズクラブにはセブの名前を冠しており、ステージで演奏しているセブの姿を見つめるミア。
互いに目配せして微笑み、そこで映画は終わる。

互いに夢を叶えたのだからハッピーエンドだと思う。
何かを手に入れるには何かを代償にしなければならないのは当然のことで、セブとミアは「愛」を「夢」と両立できなかったから別れを選んだだけの話だ。
しかし2人が「女優になる」「自分の店を持つ」夢を叶えるためには互いの存在が不可欠であり、今後2人が仕事でキャリアを積んでいくにつれて夢を叶えることができたのは過去の恋人のおかげだと感謝し続けるのだろうと思う。
最高じゃないか、と思う。

別れを選択したけれども、一生涯思い続ける相手が2人にはいる。
仕事で成功していくたびに互いのことを思い出すことができる。
最高のハッピーエンドだと思う。

もし自分がこの映画を10代の頃に観ていたとしたら、2人の選択を「悲恋」だと捉えていただろうし、ラストシーンは大変にショッキングなものに映っていたと思う。
大人になると色々なことを諦めなければ新しいものを掴めないということがわかってくるし、自分の限界というものも見えてくる。
全能感に溢れていた10代の頃だったら「夢も叶えて、2人も結ばれて」という結末が当然だと思っていただろうけれど、自身が成長したからかラストシーンはすんなり受け入れることができた。
むしろ当然の結末だとも思う。

「セブはミアのことをずっと思い続けていたのに、他の男と結婚してミアはなんて薄情なんだ」という意見も見かけた。
でもセブだって恋人の1人や2人できていたのではないかと思う。
少なくとも映画内では描写されていないので憶測になってしまうけれど、互いに夢を叶えるのと同時に現実を見る、地に足ついた大人になったのではないだろうかと思う。
ラストシーンの走馬燈はセブがずっとミアのことを思い続けていた気持ちを表現したのではなく、たまたま再会した昔の恋人の姿を見て思い出を反芻(そしてもしあのとき別れていなかったら、というもう一つの可能性に思いを馳せた)しただけなのでは、と思った。

「ハッピーエンドだ」という人もいれば、「切なくて抉られる」という人もいる。
その人がどういう人生を送ってきたか、夢を叶えたのか破れたのか、どんな恋愛経験をしてきたかで解釈の変わる映画だと思った。

[PR]
by innocentl | 2017-03-06 19:28 | 日常 | Trackback | Comments(0)

確定申告

昨年からフリーランスとしての所得もそれなりになったので、生まれて初めて確定申告をしてきた。
「ある一定以上の所得があればしなければならない」というのは知っていたけれど、具体的に何をどうすればいいのか知らない状況のまま会場へ向かった。
一応年金の支払い証明的なハガキと、健康保険の金額は控えていったけれど、経費は会社持ちなので領収書の類などは持たずに行った。

入口が2つに分けられており、それぞれ会社員と個人事業主のレーンとなっていた。
「初めてなんでよくわからないんですけど」と入口の女性に伝えると、「会社に勤められていますか?」と質問された。
「いえ、フリーランスで」と答えると個人事業主のレーンを進むように言われたが、会社員のレーンに比べると待っている人が少なくスムーズに進むことができた。

進んだ先にいたスタッフに支払調書と年金のハガキ、去年1年の間に支払った健康保険料を伝えると、その人は何やら手元の書類に数字を書き込んでいった。
会社から回してもらった以外の仕事で支払調書をもらえていなかったため、そこで一悶着あったものの、なんとか終えることができた。

そしてどうやら収支報告書というものを作らなければいけないらしく、作成コーナーに通された。
そこでもスタッフが記入を手伝ってくれたのでなんとか書き上げることができた。
自分の場合経費計算や不動産所得などの難しい要素はなかったので、単純に所得と年金、保険料の金額などを書いただけだった。

書きあがるとPCでの登録コーナーに進み、そこでもスタッフの指示に従って作成した収支報告書などの情報を入力していった。
一通り入力が終わると還付される税金が表示されたのだが、「こんなに!」というくらいの金額が映されていた。

どうせ手間がかかるわりに大して還付されないんだろうなと思っていたが、想像の3倍くらいは返ってくるようだ。
「ラッキー」と思ったのと同時に、「そんなにどんぶり勘定で余分に毎月税金引かれてるんじゃ、そりゃあ生活も厳しくなるわけだわ」とも感じた。

確定申告の受け付けが始まってすぐにしたので、来月半ばには還付金が振り込まれる。
今は古着屋で服を買ったり、色あせたレザージャケットを染め直しに出したり、旅行資金にしたりといろいろと物欲を満たす行動をしている。
本来なら有事に備えて貯蓄しておくべきだと思うが、去年一年間はいろいろと我慢する年だったし、これくらい許されるかなと思って少し贅沢させてもらっている。

ここでまとまった金額が入ったことによって月々の勘定も調整できるし、毎月の貯蓄をもっと計画的に行えるように考え直そう、と思った。

[PR]
by innocentl | 2017-02-28 17:38 | 日常 | Trackback | Comments(0)

前に住んでいた街

一人暮らしをしていた横浜の街を歩く機会があった。
いい思い出もないし憎んでいる人も多いため、前職を辞めてから2年近く一切横浜には立ち寄らなかった。

JR横浜駅を降りて川沿いに歩き、前暮らしていたマンションを目指した。
人がごった返している駅前を歩くのが嫌いだったので、わざと人通りの少ないこの道を通っていたことを思い出しながら道を進んだ。
横浜は坂が多い。長らく関東平野特有の真っ平らな地方都市で過ごしてきた人間からすると高低差が激しくて位置関係がうまく把握できない。

高台にのぼると、みなとみらいのビル群や観覧車が見えてきた。
住んでいたときはいろいろなことが嫌になっていたので街すら憎んでいたが、今見ればけっこうきれいな街なんじゃないかとも感じた。
休日の昼間ということもあり、高台の住宅街は人の気配がなくしんとした静寂が広がっていた。

一人暮らしをしていたときによく通っていた商店街をぐるりと歩いてみたが、休日だったのでほとんどの商店が閉じていた。
新しいマンションが数棟建っているほかは2年前と全く変わりなく、このままあのマンションの一室に帰ってごろんと床に寝転ぶ姿さえリアリティをもってイメージできた。
部屋に入ったときのひんやりとした部屋の空気、粗めのカーペットの肌触り、少し離れた国道の車の音などを思い起こし、確かにここで暮らしていたのだと改めて感じた。

この街で生きていたとき、いい思い出だってあったじゃないか。
彼氏が遊びに来たときはポップアップバーで売っていたモヒートを飲みながら海沿いを歩いた。
友人と安い居酒屋で語り明かしたことだってあるし、うまいラーメン屋だって見つけた。

一人暮らしを始めてから、生きていくうえでいろいろなことを学んだのだってこの街だった。
生きていく力をこの街で養った。
残念ながら悪意ある人々に囲まれてきれいな会社の辞め方をしなかったけれど、生活面で憎むべきところは数えるほどしかなかったのかもしれない。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったものだと思う。

トラウマの克服とまで大げさなことを言うつもりはないが、少し心の中につかえていたものは取れたような気がする。
かとってこの街に今後来る機会があるかというと全くそうではないが、ここに置いてきてしまったきれいな思い出だけは拾って帰ろうという心づもりでいよう。

[PR]
by innocentl | 2017-02-21 18:25 | 日常 | Trackback | Comments(0)

ないものねだり


[PR]
by innocentl | 2017-02-21 17:56 | 日常 | Trackback | Comments(0)