黒い感情

前の会社を辞めた理由はたくさんあるけれど、嫌な人が多かったというのが一つの理由としてあげられる。
性根の悪い人、言ってることがコロコロ変わる人、部下に責任を押し付ける人、真っ当な査定を行おうとしないで好きな人だけ高い評価をする人、怒鳴れば人が動くと思っている人……。

もう会社を離れてだいぶ経つから思い出すことも減ってきたけれど、風呂に入ってるときやトイレに入ってるときなどにふっとその時の記憶が蘇ることがある。
思い出してしまったらもう最後で、ぼんやりと「子どもを流産してしまえばいいのに」「残酷な死に方をしてしまえばいいのに」と、呪いの言葉が頭に渦巻いてしまう。
実際にその人たちが不幸な目にあったら「罰が当たったんですね」と声をかけてやろうとか、生産的でない考えに支配されてしまう。

心の傷なんて生易しい言葉で片付けられているが、パワハラというのは脳の一部分を損傷させたり麻痺させたりするものなのだ。
身体に傷をつけたり、骨を折ったりすれば傷害になるのに、人の脳みそを損傷させる行為は目溢しされている。
傷をつけられたのが身体ではなく脳なだけで、傷害を受けたのだ。

彼らを一生かけて許すつもりはないが、そこも含めて「自分自身」なのだから、無理に忘れようと努力したり「許せない」自分を否定することはないと思う。
世の中は不平等で不条理で、彼らのような性根の悪い人間の方が幸福に暮らしていける。
もしも神様がいるのだとしたら、どうか彼らが惨い死に方をするよう手配して欲しい。
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# by innocentl | 2017-04-17 21:14 | Trackback | Comments(0)

六本木

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# by innocentl | 2017-04-12 16:30 | Trackback | Comments(0)

最近思う

母方の祖母は今でいう毒親で、伯母、つまり母の姉ばかり可愛がっていたという。
自分が中学生の頃、実家を建て直すとのことで祖母の家に家族みんなで数ヶ月居候をすることになった。

そのときに母は祖母と絶縁するほどの大喧嘩をし、以来一度も祖母と顔を合わせていない。
積もりに積もったものが爆発し、修復が不可能になってしまったのだと思う。

同じように自分は母と絶縁し、一度も帰っていない。
母の人生をトレースしたかのように、全く同じ出来事が自分と母の間にも起こった。
母は祖母の葬式にも出ないだろうし、自分も母の葬式には出ないだろう。

毒親というのは負の連鎖で断ち切れない呪いのようなものだという。
母も鎖を断ち切ったように見えて、実のところ祖母と同じことを自分にしてきた。

自分は子どもを作れない身体でよかったと思う。
きっと子どもを持ったとしても虐待してしまうだろうし、幸せな家庭を築くことができないだろう。

母が味わってきた苦しみを自分も味わい、母が祖母に与えた傷を自分も母に与えたのだろう。
繰り返しているけれど、自分でせき止めることができたのだから充分だろう。

最近思う。
同じことを繰り返している。
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# by innocentl | 2017-04-11 22:56 | Trackback | Comments(0)

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# by innocentl | 2017-04-01 11:17 | Trackback | Comments(2)

LA LA LAND

※ネタバレあり

「ララランド」を観てきた。
さすがアカデミー賞総なめとだけあって、最高の映画だった。

個人的にはハッピーエンドだと思っていたけれど、観る人によって感想が全然違うのが面白い。
主人公の男女2人はお互い夢を追うために別れを選び、数年後に再会するという流れなのだけれども、この解釈が人によって分かれているようだ。

「好きなジャズだけを演奏する自分の店を持ちたい」セブと、「女優になりたい」ミアが偶然出会って恋に落ちる。
2人は互いを刺激し合って、セブはバンドのツアーで稼ぐようになり、ミアもオーディションを通過するなど夢に近づいていく。
セブは数年にわたるツアーに出かけねばならず、ミアも通過したオーディションの撮影をパリで行う関係上、2人の仲はこじれていき別れを選択する。
数年後、女優として成功したミアは別の男性と結婚し子どもも授かる。
偶然夫と立ち寄ったジャズクラブにはセブの名前を冠しており、ステージで演奏しているセブの姿を見つめるミア。
互いに目配せして微笑み、そこで映画は終わる。

互いに夢を叶えたのだからハッピーエンドだと思う。
何かを手に入れるには何かを代償にしなければならないのは当然のことで、セブとミアは「愛」を「夢」と両立できなかったから別れを選んだだけの話だ。
しかし2人が「女優になる」「自分の店を持つ」夢を叶えるためには互いの存在が不可欠であり、今後2人が仕事でキャリアを積んでいくにつれて夢を叶えることができたのは過去の恋人のおかげだと感謝し続けるのだろうと思う。
最高じゃないか、と思う。

別れを選択したけれども、一生涯思い続ける相手が2人にはいる。
仕事で成功していくたびに互いのことを思い出すことができる。
最高のハッピーエンドだと思う。

もし自分がこの映画を10代の頃に観ていたとしたら、2人の選択を「悲恋」だと捉えていただろうし、ラストシーンは大変にショッキングなものに映っていたと思う。
大人になると色々なことを諦めなければ新しいものを掴めないということがわかってくるし、自分の限界というものも見えてくる。
全能感に溢れていた10代の頃だったら「夢も叶えて、2人も結ばれて」という結末が当然だと思っていただろうけれど、自身が成長したからかラストシーンはすんなり受け入れることができた。
むしろ当然の結末だとも思う。

「セブはミアのことをずっと思い続けていたのに、他の男と結婚してミアはなんて薄情なんだ」という意見も見かけた。
でもセブだって恋人の1人や2人できていたのではないかと思う。
少なくとも映画内では描写されていないので憶測になってしまうけれど、互いに夢を叶えるのと同時に現実を見る、地に足ついた大人になったのではないだろうかと思う。
ラストシーンの走馬燈はセブがずっとミアのことを思い続けていた気持ちを表現したのではなく、たまたま再会した昔の恋人の姿を見て思い出を反芻(そしてもしあのとき別れていなかったら、というもう一つの可能性に思いを馳せた)しただけなのでは、と思った。

「ハッピーエンドだ」という人もいれば、「切なくて抉られる」という人もいる。
その人がどういう人生を送ってきたか、夢を叶えたのか破れたのか、どんな恋愛経験をしてきたかで解釈の変わる映画だと思った。

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# by innocentl | 2017-03-06 19:28 | 日常 | Trackback | Comments(0)