uhai

あてもなく一人で街を歩くことが多い。
「何か面白いことがあればいいな」と思いながら歩いているのだが、特別積極的に面白いことに身を投じようとしているわけではなく受け身な姿勢でいるので、結局のところ何も見つけられないまま終わることがほとんどだ。

先日も無性に寂しくなって一人で神保町から御徒町付近までぶらぶらとあてもなく彷徨った。
そんなときに、小さな公園で家族連れが花火で遊んでいる姿が目に入り、さらに心を抉られるような気持ちになってしまった。
自分には手に入らないものに対する羨望なのかもしれないが、もう少し異なっていて自身に対する諦めのような気持ちの方が多少強かったかもしれない。
自分はこのまま「何かないだろうか」と求め続けて、彷徨い続けて、結局何も手に入らないまま時間だけを浪費する生き方しかできないのだろうか。

クラブで踊って過ごそうが、面白いことを求めて人混みの中を歩こうが、結局孤独であることに変わりはない。
一人でいろんな場所に顔を出したり、いろいろなことに取り組むのが嫌いではないのだが、それは決して孤独に強いというわけではなく「どこかに自分の居場所があるのかもしれない」と、孤独という渇きを潤したいがために起こしている行動なのだと思う。

Kila chenye uhai na kufa lazima. Kipya huchakaa na kikubwa chochote hutoweka.

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by innocentl | 2017-07-20 13:00 | 日常 | Trackback | Comments(0)
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