幸せの基準

「誰かの役に立ちたい」「誰かのために何かできることが幸せ」というのはとても美しいようだけれど、幸せの基準を他人にフォーカスしてしまうと確実に崩壊する。
どんなに身を粉にして尽くしても、結果を決めるのは他人である以上骨折り損で終わってしまうことだってある。
そうすると「こんなにしてやったのに」と憤ったり、悲しくなったり、自分が打ちのめされてしまう。

自分が心身ともに健康的に生きながらえるためには、幸せの基準は自分自身にフォーカスしてあげないといけないと思う。
というのも、ここ数年で自分は「自分を甘やかしてあげられるのは自分しかいないしな」と思うようにしていて、なるべく本能に忠実に生きようと心掛けている。
どれだけ努力したところで前の会社では評価もされず、今までさんざん「いい子」で振る舞ってやった家族にも退職をきっかけに邪険に扱われるようになり、「人のために生きるのなんて何もいいことねぇな」と思ってしまったからだ。
なまじ優等生として社会に出るまで通ってきてしまったので、「人からの期待に応えること」が自分の喜びであると内面化してしまったのだ。

自分が本当にやりたいことをやったり、本当に好きな人と一緒にいたりすると、文句を言われてきた。
その都度「これはいけないことなのだ。いけないことをしてしまって周囲をがっかりさせてしまったかもしれない」と自己叱責をしたものだが、人なんて何もしていなくても嫌われることもあれば、どんなに傍若無人に振る舞っても見捨てないでいてくれる人もいるもの。
つまり人からの評価なんて気にするだけ無駄で、だったらやりたいことを遠慮なく選ぶべきなのだ。

天涯孤独になったからこそ、日本社会にありがちな「世間様とウチ」のような呪縛からは解き放たれ、そこそこ自由に生活することができている。
かといって「お前らも家族を捨ててやりたいことをやってみろ」と言うわけではない。
会社勤めをしていればそこでの人間関係のしがらみもあるだろうし、どんなに仲のいい家族でもすれ違うことはあるだろう。
切っても切れない関係がある中で、「人のために生きる」のに固執するのを止めた方が生きやすくなるよ、というだけの話だ。

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by innocentl | 2016-12-22 17:06 | 日常 | Trackback | Comments(0)
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