文章が読めなくなったときの話

ストレスで文が読めなくなったことがあった。

仕事関係で使う資料のデータを何度読んでも頭に入ってこず、同じ文を繰り返し読んでも全く理解できなかった。
理解できないことが理解できなかった。

小説を読んでみても、同じページでずっと立ち止まってしまって、無理にページをめくって話を読み進めてみても本当に「文字をなぞっているだけ」のような状態で、全く状況や場面を想像して描くことができなかった。
文字は読めるのだが、意味を理解しようと思ってもセンテンス単位でぶつ切りになって、次の文とつながらないというか、文字を目で追いかけていると読み終わった個所がどんどん消しゴムで消されてしまっていくような、不思議な感覚だった。
「馬鹿になってしまった」と、焦った。

文字は読めるのだが、読めるというのも「文字を見て発話や発音する状態には持っていけるのだが、意味を理解することができない」状態だった。
僕は大学で言語学を専攻してきたこともあり、発音記号が読めるのでこう表現するが、知らない言語の発音記号を読んでいるようなものだった。
「発音記号の読み取りはできるため、書かれている文字がどんな音なのかはわかるしそれを発音できるのだが、全く知らない言語なので意味は分からない」といった具合だ。

もっとわかりやすく言うと、小学校に上がりたての小学1年生が「すべてひらがなで書かれた平家物語」を音読させられているようなものを想像してもらいたい。
ひらがなで書かれているので発音することはできるけれども、古文の知識がない状態で読む「平家物語」は意味を到底理解できない、という状態だ。

仕事で使う資料や一般的な書店に流通している大衆小説なので、成人している僕が「全く意味が分からない」という状態に陥るわけがない。
知らない単語が多い、とか、そういったレベルではなく、小学生1年生にとっての「平家物語」のようなレベルで理解が及ばなかったのだ。
文法の知識さえ崩壊し、文と文、助詞や動詞の関係性レベルで理解ができなかった。
「頭がおかしくなってしまった」と、焦った。

しばらくは本が読めなかった。
大好きな金原ひとみの小説を数冊買ったが、いつもなら没頭して1日で1冊は確実に読み切れるのに、集中力が続かないし文章の理解ができないので1日にせいぜい10ページ読めればいい、という時期もあった。
金原ひとみの文は悪文もあるが、そんなに難解な言葉遣いや単語を使っている作品ではないので、感覚的にすっと入ってくるものだ。
「好きな作家の本なのに、読めない」というのは衝撃だった。


先日、とある新書を1日で読み切った。
内容も思い出せる。
「あの状態はいつ抜け出すことができたのだろうか」と、今更ながら不思議に思った。
文を読めなくなる、というのはストレスのバロメーターだったのだと思う。

[PR]
by innocentl | 2016-03-10 09:54 | 日常 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://innocentl.exblog.jp/tb/25392844
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< トラブル ぬるい生活 >>